読むんじゃなかった。
体調がいい時に文章を書いて、あとはずっと死にたいと思っているような人間が読むものじゃなかった。
この本に関する感想を書くのも辛いんですが、他のひきこもりが同じ轍を踏まないように、私が人柱になっておきます。
猫も杓子もアドラー
アドラーは『嫌われる勇気』が脚光を浴びるまで日本では無名でしたが、世界的にはフロイトやユングと並ぶ三大巨頭のひとりだそうです。
その思想は『人を動かす』のカーネギーや『7つの習慣』のコヴィーにも影響を与えました。いま流行りの自己啓発の原点ですね。
2017年にはフジテレビで香里奈主演の連続ドラマも放送されました。(日本アドラー心理学会から抗議を受けましたが)
関連書籍も出まくり、いまでは「アドラー心理学」自体が一つのブランドになっています。
しかし、私はこの本がものすごく気持ち悪かった。
ケッチャムの『隣の家の少女』よりこっちを劇薬指定したい。
トラウマを明確に否定されちゃいます
アドラー的には過去の体験(原因)ではなく、どう意味づけするか(目的)が問題。
親に虐待された過去があっても、それはひきこもる原因にはなりません。
仮にご友人が「自分は両親に虐待を受けたから、社会に適合できないのだ」と考えているのだとすれば、それは彼のなかにそう考えたい「目的」があるのです。
外に出ることなく、ずっと自室に引きこもっていれば、親が心配する。親の注目を一身に集めることができる。まるで腫れ物に触るように、丁重に扱ってくれる。
他方、家から一歩でも外に出てしまうと、誰からも注目されない「その他大勢」になってしまう。見知らぬ人々に囲まれ、凡庸なるわたし、あるいは他者より見劣りしたわたしになってしまう。そして誰もわたしを大切に扱ってくれなくなる。……これなどは、引きこもりの人によくある話です。
ひきこもる状況を自分で作り出しているという考え方です。
たとえば、いじめられたから不登校になるのではなく、学校に行かない目的のために、いじめられたと言っている……。これでは救いがありません。
よく仏教の教えは身も蓋もないって言われますが、この本も容赦ない。
怖いのは、『嫌われる勇気』にかぶれたナンチャッテが、アドラー心理学を持ち出して自己責任論や根性論を正当化しかねないところです。
ただでさえ現代人は読解力が落ちてるっていうのに、やめてよほんと。
意識高い系にはいい薬かも
承認欲求を否定しているのはいいと思います。
他人軸で生きている限り、幸せになれないと知ったほうが楽になれるでしょう。
でもせいぜい、SNSで目立ちたい程度の人です。
傷口からどくどく血を流している人には向いていません。
アドラーの言っていることはもっともですが、麻酔もせずに神経を削られたら痛いんですよ。
なんかまた闇のパワーが漲ってきたじゃないか。口直しに坂口安吾の『堕落論』でも読もうかな……。