Pete LinforthによるPixabayからの画像
ネットを見ていたら「ニートやひきこもりはいい奴」という書き込みが……。ひきこもり当事者の私としてはいい人というより不器用な人だと思っています。
自分に嘘がつけないから卑怯なことはできないし、正義を貫くには弱すぎるから損ばかり。それを優しいというならそうかもしれません。
私たちはジェダイにはなれない
善人にも「倫理観が強いタイプ」と「まぬけなお人好しタイプ」がいるような気がします。
社会は厳しいと言いますが、日本のように平和ボケした国だと性善説で作られているルールもあるので裏をかけばなんとかなったりするのですが、それを知っていてもやらない人、つまり倫理観が強いタイプが本物の善人といえるでしょう。フォースを正しく使うため、厳しい戒律を守るジェダイのような。
ただ、ほとんどの善人はまぬけなお人好しです。たいした悪知恵が働かないから無害。「社会は厳しい、社会は厳しい」と呪文のように唱えているのは、正攻法でしか人生を攻略できないからです。
ニート・ひきこもりになるような人はもれなく「まぬけなお人好しタイプ」でしょう。
優しさが評価されない社会
最もお金に換えがたい能力が「優しさ」だと思います。強くて優しい人なら競争を勝ち抜いて人助けもできますが、優しいだけなら負け続けの共倒れです。
私は女性なので優しさが評価されることもあります。でも男性は強さを求められるので優しすぎると弱いと馬鹿にされてしまうのではないでしょうか。男女平等なら女性が逞しくて男性が優しくてもいいのに、世間の意識はなかなか変わりません。
愛と感動のコンテンツを消費しながらサイコパスのように生きる、これが社会人のあるべき姿のようです。
まぬけなお人好しが闇堕ちするとニート・ひきこもりを叩く
まぬけなお人好しは弱いので悪い環境にいればすぐに悪に染まってしまいます。もともと自我が曖昧なのに、無理やり社会に適応しようとするから闇堕ちしてしまうのです。
そうして「お前も苦しめ」と自分たちより楽な生活をしているニート・ひきこもりを叩く。同じ生きづらさを抱える仲間なのにいがみ合う虚しさ……。
力なき正義は無力、時として悪です。
弱者を食い物にする社会がまぬけなお人好しをモンスターにする
まぬけなお人好しが大量殺人鬼になるまでの小説『通り魔』。悪気はないのにやること為すことすべてが裏目に出るコミュ障の青年のお話です。
ものすごい鬱展開なのでニート・ひきこもりには劇薬ですが、勇気があったら読んでみてください。私は犯人の最後の言葉に震えました。
これを読んで「こいつバカだな」と思える人はサイコパス側なので楽に生きられると思います。
社会の敵にならないこと
このブログではニート・ひきこもりとは関係のない有名人を話題にすることも多いですが、別に媚を売ろうと思っているわけではありません。若者に人気のYouTuberにしても新しい人生の攻略法を見つけた人という位置づけです。
お金持ちが気に入らない人も多いでしょうが、わたしたちが社会から閉め出されたように、わたしたちが自分より優れている人を閉め出すのも差別だと思っています。だから仲間として平等に扱います。
もちろんいま成功している人だって、本人の努力だけで成功したわけではないでしょう。社会に必要とされる分野で才能があり、努力できる環境や支援者に恵まれ、時代にも恵まれた。さまざまな好条件が重なってその地位を手に入れたのだと思います。
それでも世の中が悪いのは彼らのせいではないし、活躍してくれることでお金も回りますから、頑張っている人は素直に応援します。まあ……殴られたら殴り返しますけど。
弱い者は愛されなければ生きていけません。ひきこもりであっても、自分にできる範囲で人の役に立つことをしようとは思っています。
もうプライドがどうとか言ってる場合じゃない。人間を見たら犬のようにお腹を出して服従のポーズです。