鳥屋野潟公園や旧小澤家住宅などで素敵な日本庭園を見る機会がありましたが、私が無知すぎるせいで、どこを写真に撮ればいいのかわかっておりませんでした。
旧小澤家住宅では見どころを教えてもらえたので、おぼろげでも少しは実のある見学ができた、というだけです。
反省して図書館で日本庭園の本を借りてまいりました。基本的なみかたを学んだのでシェアします。
日本庭園と西洋庭園の違い
日本庭園は自然美、西洋庭園は人工美と言い表すことができるでしょう。
柔らかい自然の風景を写す日本庭園と対象的に、西洋庭園は直線、左右対称の人工的な空間を作り出します。重力に逆らい、下から上に水を吹き上げる噴水はその最たるものです。
日本の造園を象徴する手法が「見立て」。
思い描く風景にぴったり合うように自然石を見立て、組み合わせていきます。作り手の感性が大きく反映される、他国にはない手法です。
季節・時間・天候によって刻々と表情を変えるのもまた、日本庭園の魅力でしょう。
日本庭園の形態は三種類
基本は「池泉庭園」「枯山水」「茶庭(露地)」の三つ。
細かく分ければ種類はもっとありますが、初心者はこの三つを覚えれば十分です。
- 池泉・枯山水→海や山岳といった壮大な風景を写す。
- 茶庭→身近な山間の風景を再現する。
形態から大まかに庭が作られた時代を推測できます。
池泉庭園/飛鳥・奈良・平安時代~
池を中心とした優雅な庭園。平安時代の貴族が好んで邸宅に設けました。
鑑賞方法は、舟遊式(舟に乗る)と廻遊式(歩いて回る)の二種類があります。
舟遊式は気候に左右されやすく、舟の整備が必要ですが、庭園の所有者である貴族にとっては他愛もないことでした。ありあまる富と権力を行使して自宅の庭をテーマパーク化していたのでしょう。
誰もが知っている池泉庭園が鹿苑寺(金閣寺)庭園です。どの方向から見ても美しく、作家の司馬遼太郎も絶賛しました。
奈良時代には仏教の伝来とともに浄土思想が広まりました。これに伴い、庭園に浄土を再現した「浄土式庭園」が生まれます。
現存する数少ない浄土式庭園の代表が国宝・平等院。
新潟市近郊では中央区西大畑の旧齋藤家別邸、新発田市の清水園で池泉庭園を見ることができます。
中央区の鳥屋野潟公園にも池泉庭園があります。
枯山水/鎌倉時代~
応仁の乱で美しい池泉庭園はことごとく破壊されました。権力者たちにも豪華な庭を修復する余裕はなく、狭い土地で費用をかけずに作れる枯山水が主流となっていきます。
このシンプルさが禅の精神と結びつき、高い精神性と芸術性を兼ね備えた庭園が完成しました。
枯山水は水を使わず、砂や石で自然の風景を表現する手法です。
建物からの鑑賞を主とした作りで、縁側あるいは特定の場所から見ることで景色が完成します。
額縁効果で水墨山水画のように見せる演出なんですね。
代表的な枯山水庭園といえば龍安寺の石庭でしょう。しかし、この庭の魅力を明確に説明できる人はいません。
エリザベス女王に絶賛されたことで日本庭園の代表のように紹介されていますが、実際はただ砂の上に石が十五個置かれているだけです。
禅寺の庭は修行の場ですから、余計なことを考えるなということでしょうか。
龍安寺の庭を褒めている人がいたら、ぜひどこが素晴らしいのか聞いてみてください。(ダヴィンチのモナ・リザのように「有名人がすごいと言っているからすごい」というオチではありませんように)
茶庭(露地)/室町時代~
茶室へ導く通路を露地と呼びます。客人をもてなすための演出が施された庭で、中門を境にして外露地・内露地にわかれます。
実用性に重きを置き、華美を避けた作り。
桃山時代に千利休が「わび」「さび」の草庵茶室と茶庭(露地)を完成させました。庭に燈籠を置くのも利休の発案です。
現在まで利休の手法を忠実に受け継いでいるのが千家流(表千家・裏千家・武者小路千家)です。
自然のものをそのまま使う利休と違い、古田織部とその弟子の小堀遠州はデザイン的な加工を施しました。露地の系統は千家系と織部・遠州系の二つに大別できます。
私が見学した旧小澤家住宅の庭園も露地です。
蓬莱神仙、須弥山
日本庭園では自然の風景だけでなく、現実には存在しない世界も再現されます。
- 浄土式庭園→死後の世界
- 蓬莱神仙→不老不死の理想郷
- 須弥山→仏教の世界観で世界の中心にある山
須弥山
仏教において、世界の中心にあるとされる山。頂上に帝釈天の宮殿があります。
高さは十六万由旬(古代インドの距離)。少なく見積もっても月までの距離の約4.6倍です。
数字ではピンとこないかもしれませんが、大気圏を突き破り、周りを太陽と月が巡っている高さといえばスケールの大きさがわかると思います。
八つ山と海に囲まれ、須弥山を含んで「九山八海」と呼ばれます。ワンチャン行けるかもしれない蓬莱神仙とは異なり、人間を寄せ付けない仏の世界です。
庭木
庭の景観をもたせるために植えられた木を役木といい、庭園の中心をなす木を「正真木」といいます。
「お富さん」の歌詞で知られる見越しの松は、塀際から外を見下ろすように植えられた松。
夏は西日を遮り、冬は葉を落として光を通す夕陽木のように、機能性をもたせた木もあります。
飛石
露地の地面は苔(芝生)で覆われているため、苔に付いた朝露や夜露で草履が濡れないように、足場として石を打ちます。
歩幅に合わせて飛び飛びに打ったものを飛石といい、複数の石をまとめて打ったものを敷石といいます。
旧小澤家の庭園入り口に「飛石の上を歩いてください」と注意書きされていましたが、これは大勢の人の靴底で踏み固められると苔や芝生が枯れてしまうからなんですね。
まとめ
- 日本庭園は「池泉庭園」「枯山水」「茶庭(露地)」の三つに大別される。
- 飛鳥・奈良・平安時代:王侯貴族が豪華な池泉庭園を作った。
- 室町時代:応仁の乱を機に低予算で作れる枯山水庭園が人気を博す。
- 厚地桃山時代:千利休が茶道を確立し、露地も発達した。
- 日本庭園には現実世界だけでなく、神仏の世界も再現される。
- 庭には景観または機能をもたせた木を植える。
- 露地には草履が汚れないように飛石を打つ。実用と鑑賞を備えた用の美。