2,3年前に話題になったのに1秒たりとも見たことがなかった映画『ミッドサマー』をついに見ました。きっかけはゾゾゾの皆口くんがおすすめ映画に挙げてたからです。
マニアといえるほどじゃないけどホラー映画もたまにる自分からすると皆口くんは比較にならないくらい強い。良いものも悪いものも浴びるように見て鍛えてないとあの感性は育たないと思います。
その皆口くんに「今後絶対追いかけ続けたいクリエイター」と言わしめたアリ・アスター監督とは何者なのか。俄然興味がわいてきました。
『ミッドサマー』はガーリーな雰囲気とは裏腹に凶悪な映画です。
卒業制作で息子が父親を強姦する短編を撮るような監督だと言えば作風がなんとなくわかるでしょうか。いま嫌な予感がしたと思いますが、その予感は正しいです。
初見の印象はメンヘラ女子の復讐劇
家族を亡くしたメンヘラ女子のダニーが恋人のクリスチャンや仲間たちと夏至祭(ミッドサマー)に参加するのですが、ダニーとクリスチャンはいつ破局してもおかしくない末期的状態です。
太陽のような肛門のようなホルガ村の門をくぐり、すぐさま変なキノコをキメてトリップする若者たち。もともと怪しいダニーのメンタルがさらに危なくなっていくなか、仲間が次々と消えていきます。
夏至祭が行われるホルガ村には客人を生贄にするヤバい風習がありました、というお約束の民俗学ホラー展開。白夜を逆手に取って「明るいのに怖い」ホラー映画に仕立てたのは斬新ですが、基本のストーリーはシンプルです。
最終的にダニーはメイ・クイーンに選ばれて村の一員になり、それ以外のメンバーはみんな村の生贄にされてしまいます。
最後の生贄に自分を裏切った恋人のクリスチャンを選んだダニーが微笑むところで映画は終了。
このラストシーンをハッピーエンドだと思うかバッドエンドだと思うかは見る人次第です。
ダニーの復讐が成功して新たな居場所を見つけたとするなら幸せでしょう。しかし、彼女がホルガ村に吸収されたと考えると怖い話です。
「カップルで見ると別れる映画」という触れ込みですが、ダニーとクリスチャンのどちらに感情移入するかが分かれ目。
クリスチャンはダニーに優しくはなかったかもしれませんが、命をもって償わなければいけないほどの悪人でしょうか。
ダニーもすぐに泣き喚くめんどくさい彼女だし、毎回それを慰めなければいけないとしたらそれは介護です。お互いに恋人を道具のように扱ってたのに、クリスチャンだけ責められるのはなんだか腑に落ちません。
でもダニーに肩入れするメンヘラ女子は「当然の報いだ」という感想を持つようです。その温度差に彼氏がゾッとするという、現実を巻き込む厄介なホラー映画なんですね(それ以前にデートで見る映画に『ミッドサマー』を選ぶセンスはどうかと思う)。
完全に他人事だから私はどちらにも共感しなかったのですが、似たような状況にある人は熱くなってしまうのかもしれません。
もともと4時間ある作品を劇場公開用に2時間20分に編集したという事情があり、2時間以上あるのにちょっと説明不足に感じました。
初期バージョンに近い3時間のディレクターズ・カット版ではダニーとクリスチャンの喧嘩のシーンや村の儀式のシーンが追加され、モザイクもなくなり、登場人物を理解するうえでもホルガ村滞在記としても、いろいろなところがよりよく見える仕様になっています。
監督はこのディレクターズ・カット版が完全版だと考えているそうです。
ホドロフスキーとの類似性は?
「『ミッドサマー』はあっさりしたホドロフスキー」というレビューを見かけたのですが、青空!裸体!血!みたいな映像感が『ミッドサマー』っぽいだけで、アリ・アスター監督と比べるとだいぶ人情味があると思います。
『サンタ・サングレ』を見た限りではメキシコ版寺山修司といった感じ。表現は気持ち悪いけれども母親への愛憎を描いた切ない作品です。
ちなみに『ミッドサマー』の性の儀式はたいへん不評ですが、『サンタ・サングレ』では入れ墨が痛くて泣いちゃう美少年・鼻血を流す全裸のイケメン・女子プロレスラーに弾き飛ばされるイケメンなどが見られるので、ある層には需要がありそうです。
一筋縄ではいかないアリ・アスター作品
映画において美術や小道具も役者であるとはいえ、アリ・アスター監督の映画は映ってるものすべてがストーリーに関わってくるレベルの作り込みをします。
私の頭ではとても拾いきれないし、監督のインタビューや考察班が出動してくれてなんとかわかった感じです(壁画やルーン文字の意味については公式やファンの考察記事がたくさんあるのでそちらを御覧いただきたいと思います)。
理解を深めるため、ディレクターズ・カット版を見る前に『ミッドサマー』と共通点が多いという前作『ヘレディタリー/継承』も見ました。似てるも何もミッドサマーがA面でへレディタリーがB面と言ってもいいくらいミッドサマーでした。
この映画でも映画という箱庭を徹底的に作り込む姿勢は変わらず。ミッドサマーとへレディタリーを両方見るとアリ・アスター監督の独自性がわかると思います。こういうアプローチで映画を作る人は見たことがないです。
『へレディタリー』は監督の家族に関するトラウマを元にした映画で、『ミッドサマー』は監督の失恋体験を元にした映画だそうです。
なるほど、男女を逆にしてみると自分を裏切った彼女に復讐する監督の怨念の物語なのかもしれません。
蛭子能収みたいですがド直球な蛭子さんと違い、彼氏が彼女に復讐する話だと共感を得にくいから主人公を女性に置き換えた……と考えるとその計算高さが怖いです。映画を見たリア充を爆発させようとする監督の呪いも怖い。
長編2作目ですでに巨匠扱いされているアリ・アスター監督ですが、苦手な人はほんとうに苦手な監督でもあります。
恋人や家族といった、みんなが大切に思うものに唾を吐いて踏みつけるようことをする監督なので愛を信じる善良な人が見ると「胸糞が悪い」という感想を抱くのでしょう。
それは見る目がないのはなく健全な世界線で生きてきた証なのでこれからも清く正しく生きていってほしいです。
ここまでダニーとクリスチャンの物語を中心にお話してきましたが、『ミッドサマー』には他にも見どころが数多くあります。
むしろそっちのほうが面白いかもしれないのでそこにも触れていきたいと思います。
「世界一の美少年」が姥捨て儀式で崖からダイブする老人役に!
成田祐輔さんの持ちネタ「老人は切腹せよ」、『楢山節考』の“姥捨て山”をホルガ村では「アッテストゥパン」といいます。72歳を迎えた村人が崖から飛び降りて自ら人生の幕を引く儀式です。
今回アッテストゥパンで虹の橋を渡るおじいちゃんを演じたのは、『ベニスに死す』で有名な世界一の美少年ビョルン・アンドレセン。
『ベニスに死す』が大好きなアリ・アスター監督は「世界一ハンサムだから」という理由でビョルンにオファーしたそうです。
ところが監督はその世界一ハンサムな顔面をハンマーで殴りつけて破壊するという暴挙に出ます。1発目はアップで映すわ、しつこく3回くらい殴るわ、悪趣味極まりないシーンです。
「美しいから燃やした」という三島由紀夫の『金閣寺』的な発想なのか、観客への嫌がらせなのか。どっちにしてもサイコです。
こういうことするから、自分セラピー映画を作るにしても悪意がありすぎるとか言われちゃうんでしょうね。私は嫌いじゃないけど。
絶世の美少年に生まれたらさぞ幸せな人生だろうと我々のように美しくない者は想像すしますが、ビョルン本人は苦労が絶えず、自分の顔が好きではないとか。
アリ・アスター監督は外道だけど、この映画のおかげで美少年のイメージと決別できて清々したかもしれません。
思いのほかクズだったクリスチャン
クリスチャンに同情的だった諸兄に悲しいお知らせをしなくてはなりません。
追加シーンでよくいるクズだと思われていたクリスチャンが、実はかなりのクズだったことが判明します。
ダニーのお守りにうんざりしているのはわかりますが、友達まで裏切っていたとなると話が違います。
クリスチャンはホルガ村を調査していたジョシュの研究を盗んだだけでなく、ジョシュが自分の研究を盗んだとダニーに嘘をついていたのでした。
映画がダニー視点で描かれていることを差し引いても救いようがない馬鹿です。
ヤリ目のマークとクリスチャンはホルガ村から脱出できてもクリスタルレイクあたりで乱痴気騒ぎしてジェイソンに見つかるのが関の山でしょう。
そんな良いところがないクリスチャンではありますが、俳優さんがストイックに役に取り組んでいたらしいことを付け加えておきます。
「女性に対する性的暴力のシーンには(被害者である女性が)全裸のものが多く、彼女たちはそう演じてこなくてはならなかった。(このシーンは)それをひっくり返すチャンスだと思った。観客にとって、このキャラクター(クリスチャン)が可能な限り弱く、屈辱的な状態で出てくるのは重要だと思った」
『ミッドサマー』“性の儀式“のウラ話!撮影期間は2週間、精神崩壊ギリギリの舞台裏【ネタバレ】 - フロントロウ -海外セレブ&海外カルチャー情報を発信
クリスチャンは嫌いになってもジャック・レイナーは嫌いにならないでください。
みんなサイモンのこと忘れてないか
クリスチャンが可哀想だと言うけれど、ほんとうに可哀想なのは村から逃げようとしただけで活け造りにされたサイモンでしょう。
背中から捌いて肋骨を外し、両方の肺を羽のように広げるヴァイキング流の処刑法で「血の鷲」というそうです。サイモンの場合はご丁寧に目玉をくり抜いて花まで活けてありました。ドラマ版のハンニバルくらい人体加工に手間がかかってそうです。
私は子どもの頃から魔女狩りの漫画などを読んでいたので「鉄の処女」やら「ガミガミ女のくつわ」やらは知っていましたが、ヴァイキングの文化までは知らなかったので新鮮でした。
サイモンには悪いけど超カッコいい。お家に飾りたい。
模範的ホルガ村民ペレ
メンヘラなダニーにも優しく、唯一まともな男性に見えたペレ。しかし映画を最後まで見ると一番ヤバいのがペレだったという絶望的な事実を知ることになります。
ホルガ村出身のペレがダニー達を夏至祭に誘った時から「ホルガ村補完計画」は始まっていました。
ホルガ村の人々は人間というより昆虫みたいです。
スズメバチの群れで卵を産むのは女王だけで、ほかは手足となって動く働き蜂。
その働き蜂に守られている女王ですら、卵を産めなくなれば巣から放り出されます。そこに「個」という概念はなく、群れが一つの生き物のよう動きます。
ホルガ村にも「個」は存在しません。交配に至るまですべてが村に管理されています。近親相姦によって作られた奇形の賢者ルビンはその最たるものです。
村人はみな優しく、仲間が悲しんでいれば一緒に泣いてくれます。家族を失い、恋人に見捨てられそうで情緒不安定なダニーがホルガ村に心酔していっても不思議はありません。やっと自分の居場所を見つけられたのですから。
でもすべては村を存続するための計画であり、ダニーは利用されただけなのかもしれない……と思うと恐ろしく残酷で悲しい話です。
ペレが「自分の両親は炎に包まれて死んだ」とダニーに打ち明けるシーンがありますが、火事で死んだ、とは言っていないんですね。ラストの小屋のシーンを見ると火を使う儀式で亡くなったようにも考えられます。
両親の死についてペレは、悲しかったけど仲間がいるから大丈夫だと受け止めています。もう骨の髄までホルガです。
友達が生贄になることも、妹のマヤがクリスチャンを誘惑してダニーとの仲を引き裂くことも、ペレは知ってたんですよね……。
冒頭のタペストリーにはペレがダニー達をホルガ村へ連れてくる様子が描かれています。新しい血を連れてくることは彼に課せられたミッションだったのでしょう。
ダニーに向けた優しい微笑みもホルガ村の人たちのあの笑顔だったんだな、と思うとやるせない気持ちになります。でもペレ最高。
森のくまさんと八つ墓村の菊人形
スローテンポな映画だと思っていましたが、性の儀式からクライマックスにかけて狂気が加速していきます。
私はお酒も葉っぱもやったことがないからわからないんですけど、悪酔いした時のような、葉っぱでブリブリになってるような感じ、とでもいうのでしょうか。
食べ物や花がグニャグニャするシーンはシュヴァンクマイエルの『不思議の国のアリス』の動く肉みたいで気色悪かった。
性の儀式もシュールを通り越してギャグですが、その後に八つ墓村の菊人形みたいになったダニーやくまになったクリスチャンが出てきてどこを突っ込めばいいのかわからなくなりました。エンディング曲は個人的に「森のくまさん」でいいと思います。
好き嫌いは置いといて、一回くらい見ておくといい映画
アリ・アスター監督には今後の映画界を牽引していくであろう期待がかけられてるので、トレンドを知るうえでも見て損はないと思います。
監督は日本映画もよく見ているそうで、ミッドサマーにも楢山節考の姥捨て山や輪廻転生といった東洋的な要素が感じられる描写があります。
日本にも村を訪れた客人を手にかけて金品を奪う「異人殺し」の伝承が多くあります(実際にあったかどうかはともかく、そんなことがあってもおかしくないと考えられていることが怖さの肝です)。
ミッドサマー的な作品として石原慎太郎の『秘祭』を日本のフェスティバル・ホラーとして推したいです。
エロゲーみたいな展開だという指摘もありますが、カルト集団が出てきた大体いかがわしい展開になります。『ダ・ヴィンチ・コード』だって薀蓄を抜いたらそんなもんです。マニアックな人には刺さる作品みたいで古本は高騰してるので、図書館を利用してみてください。
リア充を爆発させたいアリ・アスター監督にはフェイクドキュメンタリー「Q」の『フィルム・インフェルノ』を見てほしいです。監督みたいなひねくれた感性の人は絶対好きだと思います。