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知らないほうが幸せ?!本当は夢も希望もない映画『ラストエンペラー』の愛新覚羅溥儀


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低予算映画ばかり見ていたので、たまにはお金がかかっている映画を見てみようと思い、大作映画の『ラストエンペラー』を見ました。映画としてはたいへん評価が高いのですが、史実とは違うという否定的な意見もあります。

 

後にも先にも一度の人生で三度皇帝になって三度退位し、戦犯になって平民になった人は溥儀だけです。

 

映画で見てよくわからなかった部分はドラマや本で補完しましたが、知れば知るほど皇帝の、いや溥儀の人生しんどい。周りの人もしんどい。なんて救いがないんだと思いました。溥儀は日本の近代史と切っても切り離せない人物でもあるので日本人として心が痛む部分もあります。

 

映画のイメージを壊されたくない方はここから先を読まないほうがいいかもしれません。

 

中国ドラマ版全28話と溥儀の晩年を描いた香港映画の『火龍』を見て溥儀・溥傑・嵯峨浩の自伝、ジョンストンの『紫禁城の黄昏』、溥儀の評伝なども読んでなるべくWikipediaにない話も入れる工夫はしておりますが、中国語がわからないので2007年に出版された『我的前半生』の完全版の内容はわかりません。申し訳ない。

中国での溥儀の扱い

 

映画の溥儀は過酷な運命に翻弄されながら、最後に自由を手にすることができました。やっと自分の人生を取り戻した溥儀を見て観客は感動に包まれます。苦労が多かった自分の人生に重ねわせる人もいるでしょう。

 

同じ時期に作られた中国ドラマでは「漢奸(日本でいうところの国賊)だったけど中国共産党の教育を受けて更生しましたっ☆」という描かれ方です。中国共産党の寛大さに涙しながら贖罪の日々を送らなければいけないのです。いつも何かに怯えていてダサい、そんなキャラでした。

 

『ラストエンペラー』はよく欧米目線の映画だといわれますが、セリフが全編英語という点だけでなく、溥儀の描き方そのものが欧米的です。これは中国人でも日本人でもないベルトリッチ監督だからこそ作れた映画でした。

 

映画の邪魔になるであろう溥儀の特異な性格(常人には共感できない部分)はかなり薄めてあるので何を考えているのかわからない人になっているのが難点ですが、それも映像の美しさと坂本龍一の音楽でかなりカバーされているので「いい映画を見た」という満足感はあります。

清王朝のラスボス・西太后


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叔父にあたる光緒帝の後を継ぎ、溥儀は3歳で皇帝に即位しました。西太后のもとへ連れてこられた溥儀はギャン泣きして西太后からもらった菓子を投げ捨てたといいます。

 

映画では豪華なセットと衣装の効果もあってラスボスと呼ぶにふさわしい迫力です。

 

西太后役のリサ・ルーはリー・ハンシャン監督の『傾国傾城』でも西太后を演じている女優さん。『傾国~』ではギラギラした西太后でしたが、『ラストエンペラー』の西太后は得体の知れない恐ろしさがあります。

 

クーデターを起こして光緒帝を幽閉しておきながら、皇帝が亡くなったことをまるで他人事のような口ぶりで言う西太后。早逝した光緒帝は西太后に毒を盛られたという説もあります。あの微笑みは何を意味しているのでしょう。

 

「old buddha」は西太后の敬称の一つ「老仏爺(ラオファイエ)」の英語訳ですが「老」には「尊い」という意味が含まれているのでoldとはちょっと違います。老や爺はイケてる呼び名で皇帝たちも好んで使っていたようです。

 

息を引き取った西太后の口に黒い玉を入れるシーンはじつに不気味。西太后の治世を象徴するようなこの玉は後述する東稜事件で盗まれることになります。

 

父母の顔は忘れてしまっても、西太后がおそろしかったという記憶は溥儀のなかに強烈に刻まれていました。

 

『ラストエンペラー』屈指の名シーンである溥儀の即位式はこの映画のスケールの大きさを物語っています。西太后の喪中のため楽団の演奏などはなかったのですが、かえって厳かな雰囲気を感じられるほどです。

 

即位式でも溥儀は玉座の上でギャン泣きしたといいます。困った父親の載灃が「すぐ終わる」と溥儀を宥めたことが清朝の終わりを予言しているようだと不吉がられました。

 

もっとも西太后が亡くなった時点で清は終わったも同然だったのですが……。

気弱な父・醇親王載灃

幼い溥儀の摂政となった父・載灃は優しい人でしたが気が弱く、政治に向いていませんでした。

 

光緒帝を裏切り西太后に寝返った袁世凱を処刑せよという空気のなか、袁世凱を推す他の親王との板挟みなどで弱腰になり、とりあえず足の怪我を理由に袁を引退させることにします。

 

養生するふりをしながら機会をうかがっていた袁世凱は辛亥革命で政権に復帰。反乱軍を鎮圧するはずが革命運動の中心人物である孫文と手を組み、またもや皇帝を裏切りました。

 

どう考えても信用しちゃいけない奴に仕事を任せてしまったことが原因ですが、イギリスに負け、日本にも負け、外国の力を借りなければ太平天国の乱を鎮圧できないほどオワコン状態だった清は、嫌でも袁世凱に頼らざるを得ない状況でした。

 

醇親王も危機感を覚えて軍権を握ろうとしてはいましたが、気持ちはあっても能力がないのは明らかです。

 

溥儀が6歳で退位すると「現状維持が第一」という事なかれ主義の父親になりました。

溥儀はラストエンペラーになるはずじゃなかった?

光緒帝の後継者は端郡王載漪の息子・溥儁になるはずでした。

 

西太后に推されて紫禁城に入り、皇帝になるための教育を受けていましたが、父・載漪が義和団の乱の責任を取らされて追放されると溥儁も皇太子の資格を失いました。溥儁はやさぐれて阿片と放蕩に耽り、職も財産も失って最後は寝たきり状態で亡くなりました。

 

溥儀は収容所で自分を皇帝にした西太后を恨みましたが、ラストエンペラーじゃないほうの人生も悲劇的でした。

 

醇親王家は溥儀の祖父・奕譞が西太后のライバルである粛順を捕まえたことで大出世しました。奕譞の息子・載湉が子どものいない同治帝の跡を継いで光緒帝となりました。

 

戊戌の変法で光緒帝と対立した西太后は醇親王家を嫌うようになり、この時点では溥儀が選ばれる可能性はありませんでしたが、目論見が外れたので溥儀にお鉢が回ってきたというのが本当のところです。広い中国でだた一人、とんでもない確率で皇帝ガチャを引き当てたのでした。

母親の死

溥儀は光緒帝の養子になる形で帝位を継いだので、先帝の未亡人たちが義理の母親になりました。「孝」を重んじる中国では皇帝といえども彼女たちに敬意を払わなければなりません。

 

宮廷を仕切っていた隆裕皇太后亡き後は端康太妃が権力を持ち、ことあるごとに溥儀に干渉するようになります。

 

流行の服や民国将軍の衣装を買ってきて溥儀の機嫌を取っていた宦官は端康の逆鱗に触れて板打ちの刑にされた後、監獄に送られました。

 

溥儀の実母の瓜爾佳氏は端康と懇意にしていましたが、母親面して干渉してくる端康を溥儀が罵ったことで責められ、溥儀を謝罪させました。プライドを傷つけられた彼女は抗議のために阿片を飲んで自決したと言われています。

 

貴婦人たちは子供のことより面子を守ることに命がけ。溥儀が眼鏡をかけることになった時も反対した端康が致死量の阿片を飲むかもしれない、という騒動になりました。

最愛の女性アーモ

 

溥儀にとって唯一の「母親」は自分を育ててくれた乳母のアーモでした。劇中ではアーモが特別な女性であることを「She is my butterfly」と表現しています。

 

オリジナル全長版では、貧しい生まれのアーモが乳母の仕事に就くため醇親王府で面接を受ける回想シーンが追加されています。

 

溥儀の自伝『わが半生』によれば、宦官に残酷ないたずらをする溥儀を窘め、人の心を教えてくれる人はアーモだけだったといいます。満州国時代には宮廷から追い出されたアーモを探し出してまた一緒に暮らしました。

 

溥傑の妻・嵯峨浩の自伝『流転の王妃』にはアーモと思しき溥儀の老乳母が通化事件の犠牲になったことが書かれています。人の命が今よりずっと軽く扱われていた時代、乳の出が悪くなるという理由で我が子が亡くなったことさえ知らされなかった彼女の人生も悲しいものでした。

優待条件は誰のため

よくわからないうちに皇帝になってよくわからないうちに退位させられた溥儀は、その後も紫禁城で変わらない生活をしていました。共和国の「優待条件」により、宣統帝の一代に限り皇帝の尊称が保護されることになったからでした。

 

成長するにつれて溥儀はそんな自分の立場に疑問を感じるようになります。ロマノフ王朝もフランス王家も最後は王が処刑されたというのに、王朝が滅びても皇帝のゾンビをやっている自分は何なのか。

 

やがて優待条件が清と共和国の間で交わされた取り引きであったことや、皇帝が存在しなければ既得権益を失ってしまう人たちがいることに気づきます。紫禁城で働く役人や宦官・女官の給料は言うまでもなく、太妃たちが宮廷から追い出されもせず優雅に暮らせるのは皇帝のおかげでした。

 

最初は共和制が根付くかどうかわからない状況でもあったので、溥儀が復辟する可能性もまだありました(要するにベンチ要員)。大人の事情で若く貴重な時間を奪われた溥儀がイライラするのも無理はないのでした。

 

映画では省略されていますが、三国志の張飛気取りの辮髪将軍・張勲が溥儀を復辟させるという珍事もありました。この時はわずか十三日で退位しています。

西洋文化への憧れ

 

退位したとはいえ復辟する可能性があった溥儀は、皇帝にふさわしい人物になるための教育を受けました。『紫禁城の黄昏』を書いた英国人のジョンストンは溥儀の英語の先生です。

 

最初は乗り気でなかったという溥儀ですが、中国文化に詳しいジョンストンの知識に感心し、西洋文化にも憧れを抱くようになります。

 

真面目に英語の勉強していたのは最初だけで、いつの間にかジョンストンの授業は「西洋文化講座」になっていきました。というわけで肝心の英語力はルー大柴レベルの怪しいものだったようです。

 

自転車という新しい玩具を手に入れた溥儀は、紫禁城内の邪魔な敷居をすべて切ってしまいました。なにもかも時代遅れな紫禁城でしたが期せずしてバリアフリー化。時代を先取りしたのでした。

 

溥儀はただ西洋人ごっこを楽しんでいただけではなく、紫禁城を出て留学するという計画を立てていました。しかし何者かの密告により皇帝の脱出計画は失敗に終わります。

「皇帝の勉強相手」というお仕事

皇族の子弟は皇帝の勉強相手という仕事に任命されることがありました。溥儀の勉強相手に選ばれたのは溥傑・毓崇・溥佳の三人。

 

仕事なので当然報酬も支払われます。お金をもらって勉強できるなんて美味しいアルバイトのように思えるのですが、皇帝の代わりに叱られるのも彼らの仕事です。

 

突っ込みづらいゲストがボケた時に後輩芸人を殴るビートたけしと同じ要領で、勉強しなかったり態度が悪かったりする溥儀の身代わりとして罰を受けるのでした。

 

自分が真面目に勉強しようがしまいが関係なし。同じ学生でも溥傑は皇帝の弟なので叱られず毓崇が集中砲火を受けるなど労働環境はブラックでした。

 

映画でも紫禁城にやって来た溥傑が溥儀と一緒に勉強するシーンがあります。ここでは黄色が皇帝専用の色であること、溥儀が皇帝ではなくなり袁世凱が大総統になったことなどが駆け足で説明されています。

 

辛亥革命後は紫禁城の中にも溥儀が立ち入れない場所がありました。即位式が行われた太和殿などいくつかの建物は共和国に接収されています。映画では接収されたエリアに袁世凱が車で乗り入れたところを溥儀と溥傑が塀の向こうから覗いている、という描き方をしているようです。

 

こんな感じのところだった

ところで天子様は英語以外に何を勉強していたのでしょうか。溥儀の話によれば数学などは教わらず、ひたすら古典の勉強をさせられていたそうです(数学は町人がやるものとされ、科挙の試験問題にも出ませんでした)。

 

一方で宦官(清では太監)は字が読めなくても計算は教わるという謎の教育方針でした。

暴力・薬物・窃盗・賭博……なんでもありの紫禁城

腐敗しまくりの清朝末期。飢饉などで共和国から年金が満額支払われることはなく財政難続きの宮廷は財宝を売り払って赤字を補填していました。その際、売った額よりも少なく帳簿に記載して残りを自分の懐に入れるのが役人のやり方でした。

 

宦官にはペンネームのような「宦官ネーム」があり、欠員が出ると新しい宦官がその名前を買って受け継ぐ方式だったようですが、欠員が出てもそのままにして二人分の給料を貰っている宦官もいました。

 

内職をする宦官などは可愛いもので、商魂たくましい者は賭博で儲けたり、宮廷の地下に阿片窟を作って稼いだりしていたようです。

 

宮廷にはもはや宦官の制服を支給する余裕もなくなり、宦官たちの自腹購入で凌いでいました。ただでさえ収入が減っているうえに盗まれているので金が無いのは当然です。

 

よくわからないけどものすごい大金が出ていく、ということに気づいた溥儀は帳簿の照合を行うことにしました。すると宝物殿を含む建物が謎の出火で消失するという事件が発生。

 

証拠を隠滅するために誰かが火を付けたものと思われましたが、自分が直前まで映画を見ていた建福宮が出火元だと知った溥儀は「宦官に暗殺される!」と怯え、普段はほったらかしにしている皇后の婉容に一晩中寝室の見張りをさせました。日常的に宦官を虐待している溥儀は仕返しされることが何より怖かったのです。

 

映画では近代化のためにかっこ良く宦官を追放した溥儀ですが、実際のところ宦官たちは溥儀のビビリな性格によって追放されたようなものでした。

 

宮廷内の性的堕落も深刻な問題でした。溥儀は恋が何かも知れないうちに宦官や女官が入り乱れる『サテュリコン』みたいな世界を経験して歪んでしまったようです。

溥儀の性格

 

幼い頃から龍だ天子だと崇められ、自分が特別な存在であることを繰り返し刷り込まれてきた溥儀の価値観は「自分以外はすべて下僕」。

 

溥傑も弟である前に臣下であり、妻はアクセサリーでした。

 

映画では皇帝の権威を示すために溥儀が宦官に墨汁を飲ませて見せましたが、溥儀が気晴らしに宦官を虐待することは日常茶飯事です。

 

ジョンストンは『紫禁城の黄昏』のなかで溥儀には二面性があると言っています。

 

些細なことで激怒したかと思えば無礼を働いた宦官を面白がって逆に取り立てたりしました。気前よく寄付したり動物を可愛がったりする優しい面もあり、(映画でも溥儀の象徴として登場する)コオロギを飼っていました。冗談を言って周りを笑わせるおちゃめなところもあります。

 

命を狙われる皇帝の職業病なのか、たびたび被害妄想に取り憑かれて周りの人間に難癖をつけました。相手が望むことを察知してカメレオンのように言動を変えるのは、利用されるばかりの人生で身につけた処世術だったのでしょう(東京裁判ではソ連の意に沿い、すべて日本に強制されたことだと嘘をつきました)。最も辛かったという満州国皇帝時代は一層情緒不安定になり、スピリチュアルに傾倒していきました。

 

当時、宦官への体罰は当たり前のように行われていました。主人の皇帝や太妃だけでなく、宦官から宦官への体罰もあり、宦官同士の喧嘩もありました。

 

宦官も宦官で問題があるとはいえ、何でも世話してもらっていて横暴がすぎるように感じますが、清朝滅亡後は彼らに仕事を与えるために皇帝が存在していたようなものですから、何もさせてもらえなかったというほうが正しいのです。

 

トイレもお風呂も一人ではさせてもらえず、プライバシーは全くありません。宦官を人間だと思っていたら耐えらない状況だったことも考慮しておく必要があります。

 

それとは別に『わが半生』で白状した溥儀の行いにはアブノーマルな傾向がありました。本気なのか冗談なのか、溥儀に拳銃で頭をブチ抜かれそうになったという宦官の孫耀庭も本気でヤバい皇帝の行いについては語ろうとしませんでした。

 

溥儀には同情する気が失せるようなクズエピソードも少なくありませんが、長年抑圧され精神的に追い詰められていたことを考えると、これが本当の姿といえるかどうかはわかりません。過酷な境遇によって歪められてしまった部分も間違いなくあるでしょう。いずれにせよ溥儀ほど波乱万丈な人生を送った人はいないので我々には判断のしようがないです。

 

『ラストエンペラー』の溥儀は、超絶美形のジョン・ローンが自分なりの解釈で演じたことで悲しみを湛えた魅力的な主人公になりました。

 

コオロギは溥儀のメタファーでしたが、脂ぎって黒光りする別の虫を連想しないこともありません。やたら生命力が強いところとポマードでテカテカした頭がよく似ていると思うのですが、さすがに皇帝に対して失礼だと思うので控えます。

5人の妻たち

映画に登場する妻は婉容と文繍の2人ですが、溥儀は生涯で5回結婚しています。

 

皇后の文繍は溥儀に顧みられることなく阿片中毒で亡くなり、逃亡した側室の文繍は皇帝相手に裁判を起こして離婚しました。

 

復辟にしか興味がなかったという言葉は誤魔化しで、溥儀には王鳳池というセフ……お気に入りの宦官がいました。映画のセリフにもあるように溥儀が阿片を嫌っていたことは本当ですが、婉容が阿片中毒であってもなくても最初から仮面夫婦だったことには変わりありません。自由を求めて溥儀と離婚した文繍も最後は餓死のような状態で亡くなり、幸せではありませんでした。

 

3人目の譚玉齢は若くして病死。溥儀は東京裁判で吉岡に殺されたと言いましたが、日本の医師が玉齢を診察した時はすでに手の施しようがない状態でした。

 

4人目の李玉琴は満州国崩壊後に溥儀の妻だったことで一家ともども迫害され、戦犯収容所で面会した溥儀に離婚を迫りました。

 

溥儀にとってはじめての恋愛結婚となるのが釈放後に出会った最後の妻・李淑賢です。夫婦仲が良かったと伝えられていますが、生活能力のない溥儀が妻からしょっちゅう馬鹿と罵られ、捨てられそうになる不安に耐えていたことや、介護レベルで世話を必要とする溥儀と結婚した妻の苦労は知られていません。

 

弟の溥傑夫婦は政略結婚でありながら相思相愛で知られていますが、溥傑の妻・嵯峨浩には封建主義的な女性だったという批判もあります。皇帝の弟であっても低い地位しか与えられなかった溥傑が妻に負い目を感じていた(忖度してた)とすると、ただの純愛では片付けられないものがあります。

 

身分を気にする浩が溥儀と庶民の女性(李淑賢)との結婚を歓迎せず、兄弟の不仲を招いたとも言われています。

東稜事件と異民族支配

溥儀が描いた盗掘犯・孫殿英処刑の図。意外と絵が上手い。

 

優待条件で清の陵墓は保護されているはずが、国民党軍の兵士によって墓が爆破され、副葬品が盗まれる事件がありました。溥儀は激しく抗議しましたが、犯人の処罰はうやむやにされました。漢民族に不信感を抱いた溥儀はこの事件から急速に日本と親密になっていきます。

 

東稜事件に関して清は被害者ですが、大清帝国は少数派の満州族が大多数の漢民族を制圧して建てた「異民族支配の国」でした。同じ大陸に住んでいても《支配される側》の漢民族と《支配する側》の満州族は言葉も習俗もまるで違う民族なのでした。

 

清は善政を敷いた王朝でしたが、明から清に変わる時には清軍による漢民族の大規模虐殺がありました。清の黒歴史であるこの虐殺を記録した『揚州十日記』は清朝時代、持っているだけで死罪になる禁書でした。辛亥革命以降は清への敵愾心を高めるために使われたといいます。

 

生粋の満州族は初代皇帝ヌルハチと息子のホン・タイジくらいで子孫は漢民族と同化していき、溥儀にいたっては満州語すら話せませんでしたが、漢民族は満州族に侵略された恨みを忘れてはいないはずです。

 

とはいえ、国民もそれなりに皇帝に敬意を持っていたようです。ただ日本の天皇のように国民の心の拠り所になっていたとは言えない、微妙な立場です。

 

軍閥による権力闘争で清朝時代よりも苦しい生活を強いられた国民は、皇帝の復帰を望んでいました。それは混乱を制圧できる強いリーダーを求めていたということであって、溥儀たち清の皇族が思っているほど神聖な存在であったかどうかは謎です。

 

とくに後期の腐敗した清に反感を持っていた人は少なくないと思われます。そう考えると東稜事件で蒋介石が国民からボコされなくても不思議ではないのですね(中国の方が皇帝をどう思っているのか実際に聞いたわけではないので、この辺は私の憶測です)。

暗黒の満州国時代

軍閥のいざこざで紫禁城を追われた溥儀は、逃亡先の日本租界で復辟の機会をうかがっていました。

 

溥儀の人生のなかでは自由があった時期ですが、復辟をエサにした詐欺師に騙されて大金を巻き上げられたり、家賃が払えないほど経済的に困窮したりとそれなりにピンチ。

 

新しい国家(満州国)の話が持ち上がり、日本の後ろ盾で復辟できるらしいと思った溥儀は満州へ渡りました。紫禁城にいた頃は何もさせてもらえずに腐っていましたが、大清帝国復興のため今度こそ心を入れ替えて立派な皇帝になるつもりでした。

 

ところが日満親善を謳う満州国の実態は日本の植民地であり、溥儀は関東軍の傀儡皇帝でしかなかったのです。日本の直接支配では現地の反発が強いと考えた関東軍は、皇帝が治める独立国家であるという体裁をとったのでした。溥儀は言われるまま公文書にサインするだけ。バイトよりも権限がないみたいな皇帝でした。

 

以前より厳しい監視と制限を受けることになった溥儀は不満を爆発させ、手のつけられない暴君になっていました。人情家アピールのために引き取った孤児まで殴っていたので、もうどうしようもないです。この頃は痔が悪化して機嫌も悪かったようです。

 

満州国ではせっせと阿片を製造して販売。731部隊が人体実験を行いました。吉野家のシャ〇漬け戦略が失笑を買いましたが、満州国では冗談ではなくガチでした。

 

収容所で記録映像を見ている溥儀がスクリーンに映し出された自分を見て立ち上がるシーンがありますが、関東軍がしたこと、自分がその片棒を担いでいたことを知り、罪と向き合う決意をするという重要な場面になっています。

 

映画では坂本龍一が演じる甘粕正彦が存在感のある悪役でしたが、不思議なことに溥儀たちの自伝にはほとんど出てきません。

 

全員が示し合わせたようにdisってるのは帝室御用掛(日本との窓口役)の吉岡安直。温厚な溥傑でさえ不遜な態度だったと厳しく批判していますが、吉岡一人にそれほどの権限があったとも思えず、他の軍人より距離が近いせいもあって「日本にムカついたらとりあえず吉岡のせいにしておけばいい」的な扱いだったようです。

 

溥儀も溥儀で「建国神廟にアマテラスを祀る」と突然物議を醸すようなことを言い出したりするので吉岡も手を焼いていたと思われます。自分の意見が天皇に聞き入れられるか知りたかったようですが、日本側にそれを伝えるのは溥儀ではなく吉岡ですから、胃が痛くなるようなこともたくさんあったでしょう。

 

関東軍には不信感を募らせていた溥儀ですが、天皇に対してだけは特別な感情を抱いていました。

 

1935年と1940年の二度の来日では天皇家にあたたかく迎えられ、家族の愛を知らずに育った溥儀は涙を流したと言われています。国民の尊敬を一身に集める天皇の姿は溥儀の理想そのものでした。

 

日本の敗戦とともに満州国は解体。溥儀は自分の頬を何度も平手打ちして先祖に懺悔しました。そして父のように慕っていた天皇から一言の言葉もかけてもらえなかったことに深く傷つきます。

 

東京裁判の偽証にはソ連への忖度だけではなく、日本に見捨てられた溥儀の悲しみが滲んでいたのかもしれません。

捕虜から戦犯へ

溥儀は日本に亡命するつもりでしたが、満州国を占領していたソ連に捕まってしまいます。

 

変わり身の早い溥儀は日本を見限り、ハバロフスクの収容所からスターリンに宛ててソ連共産党へ入党したいという手紙を書き、ものの見事に無視されました。本国に引き渡されたら処刑されると思い込んでいた溥儀は藁にもすがる思いでした。

 

その後、恐れていた中国への引き渡しの日が来ます。撫順戦犯管理所に移送された溥儀一行はそこで想像もしなかった待遇を受けることになりました。

 

処刑されるどころか戦犯への虐待行為などは一切なく、きわめて人道的に扱われました。職員のなかには戦争で身内を失った人もいましたが、個人的な感情は表に出さず、根気強く戦犯たちの再教育につとめました。

 

溥儀は管理所ではじめて自分が何もできない人間であることを知ります。ボタンを留めることも、靴紐を結ぶことも、服をたたむこともできません。紙箱作りの作業でも失敗ばかりで笑い物される有様でした。

 

あまりの生活能力のなさに絶望した溥儀は自分を皇帝にした西太后を恨みましたが、その後の頑張りが認められて特赦第一号に選ばれます。とくに溥儀が自己批判的な内容も含まれている自伝を書いたことが評価されました。

 

共産党の再教育が成功したかどうかは本人以外知る由もありませんが、気の小さい溥儀を改造することは可能だと毛沢東は考えていたようです。溥儀の境遇に同情的だった周恩来とは違い、毛沢東にとって溥儀は党のイメージアップのための大事な広告塔なのでした。

平民になった皇帝

 

溥儀は北京植物園で庭師の仕事に就き、半日働いた後は共産党の記者・李文達とともに自伝の改定作業をするという生活をしていました。翌年には全国政治協商会議の分史資料研究委員会専門研究員になります。

 

自伝の改定作業は困難を極めました。共産党のフィードバックを受けた溥儀が読者のウケを狙って話を盛るので「溥儀」というキャラクターがブレまくるのでした。

 

李淑賢との結婚をよりドラマチックにするため、皇帝時代の妻たちは空気のように扱われました。西洋かぶれの溥儀がハイカラな妻を持つこと憧れ、フランス租界育ちの婉容に電話をかけて自分と結婚するように説得したことなどはなかったことにされています。

 

平民になった溥儀が家庭を作ることは思想改造の総仕上げとして毛沢東が望んだことでした。期待に応えるマンの溥儀は旧社会のお嬢様ではなく看護師の女性を選び、模範的な共働き夫婦となりました。

 

自伝が完成すると溥儀自身が本のキャラ設定に合わせて行動するようになります。晩年はいい笑顔の写真が多いのですが、気の強い妻や弟夫婦との確執に頭を悩ませ、血尿を出しながら求められる役割を果たしていたのでした。

 

外国人記者などのお客様に会うのも溥儀の大切な仕事でした。なかには溥儀に質問するよりも一緒に記念写真を撮るほうに熱心な人もいたようです。

 

こうして中国を支配していた龍は共産党のパンダになりました。たまに龍が尻尾を出して毛沢東をイラッとさせることもあったようですが……。

文化大革命と闘病の日々

映画のラスト近く、紅衛兵に捕らえられ往来で晒し者にされている撫順戦犯管理所の所長を見た溥儀はたいへんなショックを受けます。

 

実際に管理所の所長は「国民が飢えている時に戦犯を優遇した」という理由で拘束されていますが、溥儀が目撃したのは特赦後の戦犯を指導監督していた統一戦線部長が迫害されている姿でした。

 

四旧(旧思想,旧文化,旧風俗,旧習慣)の打破をスローガンにした「文化大革命」では知識人や芸術家、溥儀たちのように特権階級に属していた人たちが紅衛兵の格好の標的になりました。革命とは名ばかりのこの暴動による犠牲者は2000万人ともいわれてます。

 

癌に侵されていた溥儀は入院が必要な状態になっていましたが、紅衛兵の襲撃を恐れた病院は溥儀の治療を放棄しました。

 

周恩来の力で治療が再開された時には手の施しようがないところまで癌が進行していました。最後はあまりの苦しみようで見ているのが辛かったと溥傑は言っています。

 

文革の最中の1967年10月17日、中国最後の皇帝・愛新覚羅溥儀は61歳でこの世を去りました。火葬された唯一の皇帝として「火龍」と呼ばれることもあります。

 

『流転の王妃』には溥儀が日本のチキンラーメンを食べたがっていた、と書かれています。これが溥儀関連の話によく登場するチキンラーメン大好き説の原典です。

 

感傷的になってきたところに水を差すようですが、仲が良かったはずの妻は「漢奸だった溥儀と一緒の墓に入りたくない」と言ったとされ、別の墓に葬られました。

 

最後まで波乱万丈な人生でした。

龍を探して

中国史は三国志止まりの私は秦と清の違いもよくわからない状態からのスタート。寝ても覚めても溥儀のことばかり追いかけていたので今では友達のような気分です。

 

難しかったのは溥儀だけを追っていても溥儀にはたどり着けないことでした。清王朝だけでも始祖ヌルハチから全盛期を築いた康煕帝・雍正帝・乾隆帝、西太后の夫・咸豊帝、息子の同治帝、養子の光緒帝、親王などの皇族、宦官、役人について調べる必要がありました。

 

人物の数が多いうえに号(別名)で呼ばれていたり、皇族には諡、皇帝には廟号があったりするので途中で誰のことを言っているのかわからなくなり、迷っては戻るでなかなか進まないのです。(溥儀の話には昔の思想家や書家などの文化人、古典の引用も頻繁に出てきますがさすがにファスト知識で補うのは無理でした)。

 

政治関連では辛亥革命の孫文や袁世凱、めまぐるしく入れ替わる軍閥メンバー、関東軍に暗殺された張作霖、国民党軍の蒋介石、建国の父・毛沢東と周恩来などもある程度知らないと話についていけないのです。どこかで区切りをつけないと範囲も大陸並みに広くなってしまうのが悩ましいところです。

 

人としてどうかと思う溥儀ですが、生命力と悪運の強さは群を抜いていました。どんな状況になっても最後まで生きることに貪欲でした。

 

特赦を受けた時、溥儀はすでに53歳でした。53歳で平民としてゼロからのスタートです。昔のように自分を皇帝と呼ぶ人には「皇帝の溥儀は死んで新しい溥儀になりました」と言っていました。

 

彼を見ていると閉塞感の強い時代を生きる私たちに必要なものは我慢でも自己犠牲でもなく、ダサかろうとかっこ悪かろうと図々しく生きることなんじゃないかと思えてきます。

 

よく近所の子供たちと遊んでいるおじさんだったそうです。子供好きというより、溥儀自身がいくつになっても子供のような人でした。

 

青空の下でガンギマリの祝祭!新感覚ホラー映画『ミッドサマー』感想(ネタバレあり)


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2,3年前に話題になったのに1秒たりとも見たことがなかった映画『ミッドサマー』をついに見ました。きっかけはゾゾゾの皆口くんがおすすめ映画に挙げてたからです。

 

マニアといえるほどじゃないけどホラー映画もたまにる自分からすると皆口くんは比較にならないくらい強い。良いものも悪いものも浴びるように見て鍛えてないとあの感性は育たないと思います。

 

その皆口くんに「今後絶対追いかけ続けたいクリエイター」と言わしめたアリ・アスター監督とは何者なのか。俄然興味がわいてきました。

 

『ミッドサマー』はガーリーな雰囲気とは裏腹に凶悪な映画です。

 

卒業制作で息子が父親を強姦する短編を撮るような監督だと言えば作風がなんとなくわかるでしょうか。いま嫌な予感がしたと思いますが、その予感は正しいです。

 

初見の印象はメンヘラ女子の復讐劇

 

家族を亡くしたメンヘラ女子のダニーが恋人のクリスチャンや仲間たちと夏至祭(ミッドサマー)に参加するのですが、ダニーとクリスチャンはいつ破局してもおかしくない末期的状態です。

 

太陽のような肛門のようなホルガ村の門をくぐり、すぐさま変なキノコをキメてトリップする若者たち。もともと怪しいダニーのメンタルがさらに危なくなっていくなか、仲間が次々と消えていきます。

 

夏至祭が行われるホルガ村には客人を生贄にするヤバい風習がありました、というお約束の民俗学ホラー展開。白夜を逆手に取って「明るいのに怖い」ホラー映画に仕立てたのは斬新ですが、基本のストーリーはシンプルです。

 

最終的にダニーはメイ・クイーンに選ばれて村の一員になり、それ以外のメンバーはみんな村の生贄にされてしまいます。

 

最後の生贄に自分を裏切った恋人のクリスチャンを選んだダニーが微笑むところで映画は終了。

 

このラストシーンをハッピーエンドだと思うかバッドエンドだと思うかは見る人次第です。

 

ダニーの復讐が成功して新たな居場所を見つけたとするなら幸せでしょう。しかし、彼女がホルガ村に吸収されたと考えると怖い話です。

 

「カップルで見ると別れる映画」という触れ込みですが、ダニーとクリスチャンのどちらに感情移入するかが分かれ目。

 

クリスチャンはダニーに優しくはなかったかもしれませんが、命をもって償わなければいけないほどの悪人でしょうか。

 

ダニーもすぐに泣き喚くめんどくさい彼女だし、毎回それを慰めなければいけないとしたらそれは介護です。お互いに恋人を道具のように扱ってたのに、クリスチャンだけ責められるのはなんだか腑に落ちません。

 

でもダニーに肩入れするメンヘラ女子は「当然の報いだ」という感想を持つようです。その温度差に彼氏がゾッとするという、現実を巻き込む厄介なホラー映画なんですね(それ以前にデートで見る映画に『ミッドサマー』を選ぶセンスはどうかと思う)。

 

完全に他人事だから私はどちらにも共感しなかったのですが、似たような状況にある人は熱くなってしまうのかもしれません。

 

もともと4時間ある作品を劇場公開用に2時間20分に編集したという事情があり、2時間以上あるのにちょっと説明不足に感じました。

 

初期バージョンに近い3時間のディレクターズ・カット版ではダニーとクリスチャンの喧嘩のシーンや村の儀式のシーンが追加され、モザイクもなくなり、登場人物を理解するうえでもホルガ村滞在記としても、いろいろなところがよりよく見える仕様になっています。

 

監督はこのディレクターズ・カット版が完全版だと考えているそうです。

 

ホドロフスキーとの類似性は?

 


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「『ミッドサマー』はあっさりしたホドロフスキー」というレビューを見かけたのですが、青空!裸体!血!みたいな映像感が『ミッドサマー』っぽいだけで、アリ・アスター監督と比べるとだいぶ人情味があると思います。

 

『サンタ・サングレ』を見た限りではメキシコ版寺山修司といった感じ。表現は気持ち悪いけれども母親への愛憎を描いた切ない作品です。

 

ちなみに『ミッドサマー』の性の儀式はたいへん不評ですが、『サンタ・サングレ』では入れ墨が痛くて泣いちゃう美少年・鼻血を流す全裸のイケメン・女子プロレスラーに弾き飛ばされるイケメンなどが見られるので、ある層には需要がありそうです。

 

一筋縄ではいかないアリ・アスター作品

 

映画において美術や小道具も役者であるとはいえ、アリ・アスター監督の映画は映ってるものすべてがストーリーに関わってくるレベルの作り込みをします。

 

私の頭ではとても拾いきれないし、監督のインタビューや考察班が出動してくれてなんとかわかった感じです(壁画やルーン文字の意味については公式やファンの考察記事がたくさんあるのでそちらを御覧いただきたいと思います)。

 

理解を深めるため、ディレクターズ・カット版を見る前に『ミッドサマー』と共通点が多いという前作『ヘレディタリー/継承』も見ました。似てるも何もミッドサマーがA面でへレディタリーがB面と言ってもいいくらいミッドサマーでした。

 

この映画でも映画という箱庭を徹底的に作り込む姿勢は変わらず。ミッドサマーとへレディタリーを両方見るとアリ・アスター監督の独自性がわかると思います。こういうアプローチで映画を作る人は見たことがないです。

 

『へレディタリー』は監督の家族に関するトラウマを元にした映画で、『ミッドサマー』は監督の失恋体験を元にした映画だそうです。

 

なるほど、男女を逆にしてみると自分を裏切った彼女に復讐する監督の怨念の物語なのかもしれません。

 

蛭子能収みたいですがド直球な蛭子さんと違い、彼氏が彼女に復讐する話だと共感を得にくいから主人公を女性に置き換えた……と考えるとその計算高さが怖いです。映画を見たリア充を爆発させようとする監督の呪いも怖い。

 

長編2作目ですでに巨匠扱いされているアリ・アスター監督ですが、苦手な人はほんとうに苦手な監督でもあります。

 

恋人や家族といった、みんなが大切に思うものに唾を吐いて踏みつけるようことをする監督なので愛を信じる善良な人が見ると「胸糞が悪い」という感想を抱くのでしょう。

 

それは見る目がないのはなく健全な世界線で生きてきた証なのでこれからも清く正しく生きていってほしいです。

 

ここまでダニーとクリスチャンの物語を中心にお話してきましたが、『ミッドサマー』には他にも見どころが数多くあります。

 

むしろそっちのほうが面白いかもしれないのでそこにも触れていきたいと思います。

 

「世界一の美少年」が姥捨て儀式で崖からダイブする老人役に!

 


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成田祐輔さんの持ちネタ「老人は切腹せよ」、『楢山節考』の“姥捨て山”をホルガ村では「アッテストゥパン」といいます。72歳を迎えた村人が崖から飛び降りて自ら人生の幕を引く儀式です。

 

今回アッテストゥパンで虹の橋を渡るおじいちゃんを演じたのは、『ベニスに死す』で有名な世界一の美少年ビョルン・アンドレセン。

 

『ベニスに死す』が大好きなアリ・アスター監督は「世界一ハンサムだから」という理由でビョルンにオファーしたそうです。

 

ところが監督はその世界一ハンサムな顔面をハンマーで殴りつけて破壊するという暴挙に出ます。1発目はアップで映すわ、しつこく3回くらい殴るわ、悪趣味極まりないシーンです。

 

「美しいから燃やした」という三島由紀夫の『金閣寺』的な発想なのか、観客への嫌がらせなのか。どっちにしてもサイコです。

 

こういうことするから、自分セラピー映画を作るにしても悪意がありすぎるとか言われちゃうんでしょうね。私は嫌いじゃないけど。

 

絶世の美少年に生まれたらさぞ幸せな人生だろうと我々のように美しくない者は想像すしますが、ビョルン本人は苦労が絶えず、自分の顔が好きではないとか。

 

アリ・アスター監督は外道だけど、この映画のおかげで美少年のイメージと決別できて清々したかもしれません。

 

思いのほかクズだったクリスチャン

 

クリスチャンに同情的だった諸兄に悲しいお知らせをしなくてはなりません。

 

追加シーンでよくいるクズだと思われていたクリスチャンが、実はかなりのクズだったことが判明します。

 

ダニーのお守りにうんざりしているのはわかりますが、友達まで裏切っていたとなると話が違います。

 

クリスチャンはホルガ村を調査していたジョシュの研究を盗んだだけでなく、ジョシュが自分の研究を盗んだとダニーに嘘をついていたのでした。

 

映画がダニー視点で描かれていることを差し引いても救いようがない馬鹿です。

 

ヤリ目のマークとクリスチャンはホルガ村から脱出できてもクリスタルレイクあたりで乱痴気騒ぎしてジェイソンに見つかるのが関の山でしょう。

 

そんな良いところがないクリスチャンではありますが、俳優さんがストイックに役に取り組んでいたらしいことを付け加えておきます。

 

「女性に対する性的暴力のシーンには(被害者である女性が)全裸のものが多く、彼女たちはそう演じてこなくてはならなかった。(このシーンは)それをひっくり返すチャンスだと思った。観客にとって、このキャラクター(クリスチャン)が可能な限り弱く、屈辱的な状態で出てくるのは重要だと思った」

『ミッドサマー』“性の儀式“のウラ話!撮影期間は2週間、精神崩壊ギリギリの舞台裏【ネタバレ】 - フロントロウ -海外セレブ&海外カルチャー情報を発信

 

クリスチャンは嫌いになってもジャック・レイナーは嫌いにならないでください。

 

みんなサイモンのこと忘れてないか

 

クリスチャンが可哀想だと言うけれど、ほんとうに可哀想なのは村から逃げようとしただけで活け造りにされたサイモンでしょう。

 

背中から捌いて肋骨を外し、両方の肺を羽のように広げるヴァイキング流の処刑法で「血の鷲」というそうです。サイモンの場合はご丁寧に目玉をくり抜いて花まで活けてありました。ドラマ版のハンニバルくらい人体加工に手間がかかってそうです。

 

私は子どもの頃から魔女狩りの漫画などを読んでいたので「鉄の処女」やら「ガミガミ女のくつわ」やらは知っていましたが、ヴァイキングの文化までは知らなかったので新鮮でした。

 

サイモンには悪いけど超カッコいい。お家に飾りたい。

 

模範的ホルガ村民ペレ

 

メンヘラなダニーにも優しく、唯一まともな男性に見えたペレ。しかし映画を最後まで見ると一番ヤバいのがペレだったという絶望的な事実を知ることになります。

 

ホルガ村出身のペレがダニー達を夏至祭に誘った時から「ホルガ村補完計画」は始まっていました。

 

ホルガ村の人々は人間というより昆虫みたいです。

 

スズメバチの群れで卵を産むのは女王だけで、ほかは手足となって動く働き蜂。

 

その働き蜂に守られている女王ですら、卵を産めなくなれば巣から放り出されます。そこに「個」という概念はなく、群れが一つの生き物のよう動きます。

 

ホルガ村にも「個」は存在しません。交配に至るまですべてが村に管理されています。近親相姦によって作られた奇形の賢者ルビンはその最たるものです。

 

村人はみな優しく、仲間が悲しんでいれば一緒に泣いてくれます。家族を失い、恋人に見捨てられそうで情緒不安定なダニーがホルガ村に心酔していっても不思議はありません。やっと自分の居場所を見つけられたのですから。

 

でもすべては村を存続するための計画であり、ダニーは利用されただけなのかもしれない……と思うと恐ろしく残酷で悲しい話です。

 

ペレが「自分の両親は炎に包まれて死んだ」とダニーに打ち明けるシーンがありますが、火事で死んだ、とは言っていないんですね。ラストの小屋のシーンを見ると火を使う儀式で亡くなったようにも考えられます。

 

両親の死についてペレは、悲しかったけど仲間がいるから大丈夫だと受け止めています。もう骨の髄までホルガです。

 

友達が生贄になることも、妹のマヤがクリスチャンを誘惑してダニーとの仲を引き裂くことも、ペレは知ってたんですよね……。

 

冒頭のタペストリーにはペレがダニー達をホルガ村へ連れてくる様子が描かれています。新しい血を連れてくることは彼に課せられたミッションだったのでしょう。

 

ダニーに向けた優しい微笑みもホルガ村の人たちのあの笑顔だったんだな、と思うとやるせない気持ちになります。でもペレ最高。

 

森のくまさんと八つ墓村の菊人形

 

スローテンポな映画だと思っていましたが、性の儀式からクライマックスにかけて狂気が加速していきます。

 

私はお酒も葉っぱもやったことがないからわからないんですけど、悪酔いした時のような、葉っぱでブリブリになってるような感じ、とでもいうのでしょうか。

 

食べ物や花がグニャグニャするシーンはシュヴァンクマイエルの『不思議の国のアリス』の動く肉みたいで気色悪かった。

 

性の儀式もシュールを通り越してギャグですが、その後に八つ墓村の菊人形みたいになったダニーやくまになったクリスチャンが出てきてどこを突っ込めばいいのかわからなくなりました。エンディング曲は個人的に「森のくまさん」でいいと思います。

 

好き嫌いは置いといて、一回くらい見ておくといい映画

 

アリ・アスター監督には今後の映画界を牽引していくであろう期待がかけられてるので、トレンドを知るうえでも見て損はないと思います。

 

監督は日本映画もよく見ているそうで、ミッドサマーにも楢山節考の姥捨て山や輪廻転生といった東洋的な要素が感じられる描写があります。

 

日本にも村を訪れた客人を手にかけて金品を奪う「異人殺し」の伝承が多くあります(実際にあったかどうかはともかく、そんなことがあってもおかしくないと考えられていることが怖さの肝です)。

 

ミッドサマー的な作品として石原慎太郎の『秘祭』を日本のフェスティバル・ホラーとして推したいです。

 

エロゲーみたいな展開だという指摘もありますが、カルト集団が出てきた大体いかがわしい展開になります。『ダ・ヴィンチ・コード』だって薀蓄を抜いたらそんなもんです。マニアックな人には刺さる作品みたいで古本は高騰してるので、図書館を利用してみてください。

 

 

リア充を爆発させたいアリ・アスター監督にはフェイクドキュメンタリー「Q」の『フィルム・インフェルノ』を見てほしいです。監督みたいなひねくれた感性の人は絶対好きだと思います。

 


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【ハズレ回なし!全員キャラ濃い!】沼る心霊系YouTuber「ゾゾゾ」の魅力を語りたい

 

ゾゾゾはいまさら紹介するまでもないほど有名な心霊スポット巡りの最大手ですが、ホラーが嫌いだからという理由で敬遠している人がいるとしたら勿体ない。先入観を捨ててぜひ見てほしい。


自分がYou Tuberの動画を見て感動する日が来るとは思いませんでした。

 

素人の一芸大会と芸能人の副業の場だったYou Tubeに、テレビ番組や映画に引けを取らない作品を作るYouTuberがいるなんて知ったら興奮しないではいられない。

 

笑いあり、恐怖あり。ポップなホラーチャンネル

 


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ゾゾゾはオカルトマニアの皆口くんが心霊版「食べログ」のようなポータルサイトを作るべく、「会社で暇そうにしていた」上司の落合さんを誘って始めたチャンネルです。

 

ホラーエンタメチャンネルと銘打っているのにメインパーソナリティの落合さんは心霊スポットにもホラーにもまるで興味なし。毎回散歩に行きたがらない犬を引っ張っていくような調子で始まります。

 

大金を投入しているチャンネルはいくらもありますが、一つの動画にかける手間が尋常じゃない。

 

企画を考える→撮影許可を取る→メンバーを集めて現地に行く→安全を確保しながら撮影する(かなりの肉体労働)だけで大変なのに、「素人の喋りは面白くない」ので無駄な場面は極限までカットし、15分~20分程度にまとめる。出来上がった動画のテンポが悪いと感じれば何度も編集し直すそうです。

 

それだけの労力をかけている甲斐あって視聴者からは「ゾゾゾを見ると他のYouTuberの動画は見られなくなる」と言われるほどです。

 

たとえばこの動画。

 


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1日で心霊スポットを20箇所回って1本の動画にするなんてもったいないオバケ。

 

落合さんも何本かに分けて投稿すると思っていたようで、皆口くんから1本にすると聞いて驚いていました。

 

いまだにYouTuberが楽して稼いでると思っている人も少なくないようですが、ゾゾゾの動画制作はどう考えても楽じゃない。

 

オープニングトーク(心霊スポットの説明)

探索・考察・30分間の1人実証実験


レビュー(ゾゾゾポイント発表)

 

が動画の基本的な流れです。回を重ねるうちに冒頭に動画のハイライトシーン、最後に次回予告が入るようになりました。

 

最後の「ゾゾゾポイント」が食べログの星に相当。

5段階評価で「ゾ」が1ポイント、「ソ」が0.5ポイント。恐怖度が5ポイントだったら「ゾゾゾゾゾ」、3.5ポイントだったら「ゾゾゾ・ソ」になります。

 

誰が見てもわかる親切設計。テンポもよくてストレスフリー。

 

ゾゾゾは倍速で動画を視聴しない数少ないチャンネルです。怪奇現象が起きた瞬間を確認するために巻き戻すことがあるくらい。

 

(2次元ヲタで実写に興味がない妹が唯一見ている実写のチャンネルでもあります。おすすめしたのは私ですが、いまでは妹のほうが熱心な視聴者。本も全部揃えたそうです)。

 


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見事ゾゾゾポイント5を獲得した地元のロシア村。

 

うちは頻繁に家族で出かけるような家ではありませんでしたが、開園間もない頃のロシア村に行ったことがあります。

 

マンモスの剥製やマトリョーシカの絵付け体験ができるコーナーがあったような記憶があります。何より鮮明に覚えているのは、当時TVをつけると洗脳されるくらいの勢いでロシア村のCMが流れていたことです(動画サイトを探しても見つからないのが逆に怖い)。

 

閉園後は廃墟となり、現存しているのは教会とホテルだけみたいです。

 

ひときわ目立つ教会は世界遺産のウスペンスキー寺院(違ったらごめんね)のレプリカで、ディスニーランドで言うところのシンデレラ城的なシンボルマークです。

 

教会を見た長尾くんが「ロシア正教ですね」と言っていましたが、私は幼すぎて東方正教会とローマカトリックの違いがわからず、インドのタージマハルみたいなかわいいデザインだなー(鼻ホジ)と思っただけでした。なぜ西洋の教会があんなに尖っているのか疑問を持つような賢い子どもでなかったのが残念です。

 

不人気だったロシア村が心霊スポットとしてブレイクするとは思ってもいませんでした。改めて見ると癖の強いデザインのおかげで唯一無二の廃墟に仕上がっておりますね。

 

ゾゾゾのメンバーと個人別おすすめ動画

 

「心霊版水曜どうでしょう」と言われるゾゾゾの魅力は個性的なメンバーに拠るところも大きいです(でも皆口くん・落合さんはどうでしょう見たことないらしい)。

 

落合さん(メインパーソナリティ)

ゾゾゾのマスコット的存在。とにかく可愛いです。

 

三十過ぎの男性に「可愛い」は失礼かもしれませんが、見た目も可愛いし仕草も可愛いし発言も可愛い。ゾゾゾの視聴者は落合さんを可愛いと思ってるよ絶対に。ずっと見ているとおっさんの魂が宿った大島優子に見えてきます。

 

本業は経営者らしいですが、動画上でそれがわかるのは金払いがいいことくらい。ホラー番組のメインパーソナリティなのに好きなものはホラーじゃなくてお酒。あえて残念なキャラに徹しているのか素なのかわからないところが落合さんの魅力です。

 

皆口くんから(ゾゾゾの撮影で)どこへ行きたいかと聞かれて「ハワイ!」と元気いっぱいに答える落合さんにバス旅の蛭子さんを見ました。

 


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落合さんのおすすめ回として神回の岳集落を選びました。ホラーゲーム「SIREN」のモデルになった廃村です。SERENらしいSF展開が熱い。

 

落合さんは自分の可愛さを自覚してると思う。じゃなきゃあんなピンクのカーディガン着ないだろ。

 

長尾くん/しょうちゃん(スペシャルゲスト)

 

いかつい見た目と穏やかな話し方のギャップで女性ファンが多いゾゾゾのファッションリーダー長尾くん。皆口くんの同級生で廃墟好きだったことから撮影に参加することになったようです。

 

堂本剛にトトロを足したような風貌で、初めて見た時はピアスの穴のでかさに驚きました。

 

ずっとピアスの穴がでかい人は苦手だと思っていたのですが、長尾くんには似合ってるからいいや。男性はさわやかさが大事とか言うけど結局人によるんだなという希望のない話でした。

 

初登場はファーストシーズン第3回目です。なんの説明もなく唐突に長尾くんからはじまるのはフックが効いてる。

 


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以降レギュラー出演しているのにずっとスペシャルゲスト扱いなのが笑えます。皆口くんの「スペシャルゲストの長尾くんです。パチパチパチ~」が登場の合図。

 

冷静さと幅広い知識、鋭い考察が長尾くんの持ち味。言葉の選び方が丁寧で安心感があります。

 

初対面では警戒していた落合さんとも打ち解けて「しょうちゃん」と呼ばれるようになり、いまではゾゾゾに欠かせないメンバーとなっています(ちなみに長尾くんのフルネームは長尾将三郎さんだそうです。渋い)。

 


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おすすめ回は1人で実証実験を行ったジェイソン村。雨の降るなか1人で撮影する長尾くんの勇姿をごらんください。

 

動画では肝が据わってるように見えるのですが、長尾くんの場合は顔に出にくいタイプなだけで怖いそうです。たまに指示されても「嫌です」と言って行かない時があって可愛い。

 

心霊スポットとあわせて長尾くんの個性的なファッションにも注目です。お洒落を通り越して自分の世界が確立されてる。

 

サブチャンで腕に「危ない1号」のタトゥーがあるのを確認して密かにテンションが上りました。悪趣味ブーム(90代)を牽引した伝説アングラ雑誌の名前ではありませんか。サブカルにも精通してるのか長尾くん。素敵。

 

皆口くん(ディレクター)

 

落合さんによれば「ゾゾゾはすべて皆口くんの意向で動いている」。

長尾くん曰く「天才」。

 

いままで登場した商才のあるYouTuberとはベクトルの違う芸術家、職人タイプの天才です。「YouTuber」じゃなくて「映像作家」と紹介されることからも明らか。

 

本業はWEBデザイナーで映像作品は経験がなかったそうですが、初期から素人とは思えないクオリティの動画を作っていました。センスの塊。

 

「こだわりが強い」「少々気難しさもある」と落合さんが言うように納得するまで編集をやり直す完璧主義。撮影に対するストイックさから「撮れ高の鬼」と呼ばれることも。

 

ホラーに限らず何を撮っても皆口ワールドになるのがすごい。短編が得意なのかと思ったら長編も面白い。めったにカメラに映りませんが、彼がゾゾゾの核であることは明白。声と話し方に特徴があるので映ってなくても演者の個性に負けない存在感があります。

 

メインチャンネの「ゾゾゾ」、サブチャンネル「ゾゾゾの裏面」「家賃の安い部屋」のほか、「フェイクドキュメンタリー『Q』」ではホラー作品を多数手掛ける寺内康太郎監督とフェイクドキュメンタリー番組を制作しています。

 


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皆口くんのおすすめ回は沖縄スペシャル。

 

巨大廃ホテル「レキオリゾート」でもっとも危険な最上階を皆口くんが単独レポートします。

 

危険な場所ではメンバーの安全を第一に考え、自分が率先して行く皆口くん。彼が言い出しっぺだからそれでいいんですけど、ヒーローっぽく見えてちょっと感動してしまうのはなぜなんだ。

 

皆口くんの姿がカメラに映る貴重な回でもあります。さすがデザイナーだけあってお洒落さん。

 

↓めったに動画外で話すことがない皆口くんの貴重なインタビュー記事です。憎たらしいほど才気煥発。

 

shueisha.online

 

まーくん/内田さん(スタッフ/演出補)

 

ホラーに欠かせない愛すべきポンコツ。

 

しっかり者しかいない世界線でホラー映画は成立しないように、ホラー番組においてもトリッキーな動きをするキャラは外せません。

 

まーくんの初登場はファーストシーズン第2回。

 

真面目そうな見た目に反して7回も遅刻してきて落合さんに注意されたり、心霊スポットの情報を調べ忘れて即興で作り話をすることになったり(グダグダ)、長尾くんとは別な意味でギャップがあるまーくん。

 

全然似ていない稲川淳二のものまね、片耳だけの変なピアスなど、ボケの情報過多でもはやどこから突っ込んでいいのかわからない。

 

これまでYouTuberになった途端に調子こいて奇抜な格好をしたがる連中を心底軽蔑しておりましたが、長尾くんと同様「いいや」と思えるのはまーくんのキャラ得です。

 


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おすすめ回は内田さん家。

 

事故物件でもなんでもないまーくんの自宅を勝手に心霊スポット扱いして探索する落合さんと皆口くん。

 

本物の心霊スポットさながら真剣に検証する落合さん。いつもより熱が入っているような……。

 

全力のおふざけが視聴者にも好評だったようで、内田さん家回はなんと3回もあります(書籍にも載ってる気合の入れよう)。

 

内装を見るのも視聴者にとっての楽しみになっており、私はSlipknotのJoeyのマスクを見つけて「彼は素晴らしいドラマーだったよね」と懐かしく思いました。

 

山本さん(スタッフ/照明)

 

落合さんに負けず劣らずベビーフェイスな山本さん。初登場はセカンドシーズン第5回。

 

メンバーの中では落ち着いていて落合さんと一番話が合うそうです。

 

山本さんの怖い話はまーくんと違って真面目に怖い。視聴者目線で見てもしっかりしているイメージがあります。

 


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山本さんのおすすめ回は2021年の夏の特別編。

 

視聴者から投稿された全国のゾゾゾスポットをメンバーが単独で調査する企画で、山本さんは「ストリートビューに女性の顔が映っている」という山刀伐峠の電話ボックスの調査に向かいます。

 

たけるくん(応援スタッフ)

 

ファーストシーズン第13回目、お祓いに行くまーくんの代役で登場。「幽霊を見てみたい」という願望があるそうです。

 

落合さんからまーくんよりも信頼できると評価されていました。

 


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たけるくんのおすすめ回は初登場の明野劇場とホテルセリーヌ。お祓いで不在だったまーくん、ホテルセリーヌの回では引っ越し準備のためお休みでした。

 

投稿頻度は低めだけど

 


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HIKAKINをはじめ、狂ったように動画を乱発するのが一般的なYouTuberの活動スタイルですが、ゾゾゾは月イチどころか半年ぐらい間隔が空いたりします。

 

大抵のYouTuberは新しい商品やサービスを紹介するため動画の賞味期限が短く、自転車操業的な活動になりがちなのはYou Tubeの運営に無知な私でも想像がつきます。

 

鮮度が落ちた過去動画は再生されなくなるので余裕がないわけですが、心霊スポットと呼ばれる場所はもともと廃墟(過去の遺物)なので鮮度にこだわる必要はないようです(後に封鎖されたり撤去された場合は逆に貴重な記録映像になりそうです)。

 

ゾゾゾでは海外ドラマのように何回かをまとめてワンシーズンとカウントします。

 

たとえば2018年から2019年にかけて投稿されたファースト・シーズンは24回。第1回目の石神公園ではじまり、第23、24回は信州観光ホテル(前後編)で終わるという具合です。そのほかに特別編が投稿されることもあります。

 

ゾゾゾの動画はいずれも100万回以上再生されているのですが、おすすめに出てきた動画を見てゾゾゾが気になり、第1回目から見始める私のような視聴者がだいぶホイホイされてるんでしょう。

 

だって誰がこの動画を作ったのかとか、どうやってメンバーが知り合ったのか知りたくなるんだもん。掌で転がされてるのがわかっても悪い気はしません。

 

メインがお休みの時はサブチャンネルがあるよ!

 

現在ゾゾゾのメインチャンネルににリンクされているサブチャンネルは4つ。

 

家賃の安い部屋

 


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毎週金曜日に更新される長尾くんメインの「家賃の安い部屋」は視聴者が投稿した心霊写真を紹介するチャンネルです。

 

長尾くんの部屋の家賃が破格に安い(事故物件くさい)ことに目をつけた皆口くんが長尾くんの部屋で撮影しようと思いついたことから始まりました。

 

長尾くんと皆口くんのセンスが合わさってサブチャンネルとは思えない完成度の高さ。書籍化もされるほどの人気です。

 

心霊とは関係なくどんどんカオスになっていく部屋の様子や長尾くんの暮らしぶりも見どころの一つ。

 

ゾゾゾの裏面

 


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オフトークやスピンオフ回を集めたチャンネルです。ときどきメインチャンネルを凌ぐ神回があるのでこちらも必見です。

 

「マドレーヌの冒険」は不思議なお話。メインパーソナリティの落合さんを裏方にしてスタッフの三輪田くんを主役にするという大胆な試みで、いつものゾゾゾとは違うハイセンスな作品になっています。「説明しすぎない」「あえて謎を残す」皆口くんの作風がより活かされている回でした。

 

フェイクドュメンタリー「Q」

 


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コアなホラーファン向けのフェイクドキュメンタリー番組。「放送禁止」や「コワすぎ」が好きなら刺さること間違いなし。

 

平均20万再生はすごい数字ですがクオリティの高さを考えるともっと再生されてほしい。ゾゾゾとの差は大衆向けかそうでないかの違いだけだと思います。

 

2023年1月1日の0時よりシーズン2がプレミア配信されるのでお見逃しなく。

 

落合陽平の10万ボルトTV

 


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可愛い落合さんを愛でるチャンネル。食レポしたり歌ったり……YouTuberしてる落合さんを見ることができます。

 

おすすめはお化け屋敷回。心霊スポット以上に怖がる落合さんが笑えます。

 

裏面の「マドレーヌの冒険」でメインに抜擢された三輪田くんは10万ボルトTVのスタッフです。編集は栗田さん。皆口くんの編集とはまた違う、いい意味でのYouTuberらしさがあります。

 

2023年2月より「ゾゾゾ」サードシーズンの配信がはじまります

 

 

公式から待望のサードシーズンの告知がありました。ちょっとずつ情報を小出しにしていく宣伝の仕方もうまいよね。見るしかない。

心を抉られる自己啓発本『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください』【感想】

もっさりした女子のイラストに味がある表紙

 

アラ古希の学者先生による、低スペック女子のための人生指南書。


馬鹿ブス貧乏がパワーワードすぎて励まされているのかdisられているのかわからなくなりますが、ジェーン・スーさんの推薦文いわく「自己憐憫に唾棄したい人向け」。


女性に夢を見させて金儲けしようという魂胆がないぶん誠実です。

 

ここでいう馬鹿ブス貧乏は「一を聞いて一を知るのがやっとで努力しないとゴミになる脳みそしかなく、女優やモデルになれる美貌もなく、働かずに生きていける金もない」女性のこと。


世の中の97%の女性を指します。


「普通」や「平凡」といったほうが妥当ですが、一億総中流時代は過去の話。


ごくわずかな勝ち組を除く大多数が負け組となったいま、一億総馬鹿ブス貧乏に降格されたといってもいいくらいです。


身分制度に代わる能力主義は学歴・業績を基準とした新たな格差を生み、貧困は努力不足で切り捨てられ、新たな地獄が誕生しました。

 

ガチ底辺から見れば著者の藤森さんは馬鹿でもブスでも貧乏でもないのですが、「他人があまり信用できない」うえに反出生主義なあたり、失礼ながらだいぶこじらせててこっち寄りな気がしました。


馬鹿と紙一重の天才と本物の馬鹿しか生き残れないような世の中を真面目な人が生き抜くのは大変です。

 

藤森さんは元祖リバータリアンでフェミニストらしいので、そのへんも頭の隅に置いておくといいかもしれません。


リバタリアンと聞いて「ゾンビ映画のタイトルみたいだな、そりゃバタリアンか」と思った馬鹿ブス貧乏エリートは私です。


リバタリアニズムとは、自由至上主義。個人の自由を侵害すること以外は自由という思想です。


人助けするかどうかも自由なので、国が税金を使って弱者を救済すべきとも考えない。

 

したがって中絶やLGBTは肯定しても、オバマケアには反対だったりします。

 

「弱者も船に乗せてみんなで溺れようぜ」というリベラリズムとは異なり、弱肉強食のハードボイルドな世界観。生殺与奪の権を他人に握らせてはいけないのです。

 

フェミニストはいまさら説明するまでもないですが、女性の権利を尊重し、性差別をなくそうと考える人たちのことです。


現代女性はフェミニズム運動の恩恵を受けていることを知って先人たちに感謝せよと藤森さんは言っています。


女性の権利だけ主張するうざいフェミニストのせいでフェミニストの評判はすこぶる悪いのですが、本来のフェミニズムは男女平等を目指すものです。


この本にも「とりあえず男性を見たら性犯罪者と思え」などと過激なことが書かれていいますが、一方でえらてんさんの『しょぼ婚のすすめ』が絶賛されていたりします。


本書を企画した出版プロデューサーの尾崎全紀さんはN国の人なのですが、N国の宿敵えらてんさんの本でも忖度せずに推すところはフェアだと思いました。


男性社会の恩恵を受けていない若い世代にはただの男性叩きに見えるのがフェミのめんどうくさいところ。

 

私のように人類と個人という大雑把な括りで考えるような人間がフェミニストについてなんか言うもお門違いな気がするのですが、戦うべきは男性に生まれただだけで偉いと勘違いしているような高齢男性(70歳以上くらいか)、権力者のおっさんと結託して女性差別に加担してきた女性、男児だけを優遇する古い世代の親や教育などであり、若い男性はむしろ馬鹿ブス貧乏側でしょうから生きづらい男性にもおすすめしたい本です。

 

たまにスピってる話やNintendoじゃないほうのDSの話も出てくるので素直すぎる人はリテラシーというものを身に着けてから読んだほうがいいかもしれません。
副島隆彦と聞いて蕁麻疹が出る人は要注意。

 

この本の前書きも長いですが私の前置きもやたら長くなってしまいました。

 

藤森さんは馬鹿ブス貧乏ながら社会で悪戦苦闘してきた女性であり、母親や親戚のおばさん以上に実践的なアドバイスをしてくれる先輩です。

 

ネット用語が飛び交う文章はとても70歳近い人が書いたとは思えない若々しさで、西成の鼻毛のおばちゃん並みにパワフル。

 

内容は青年期(37歳まで)・中年期(65歳まで)・老年期(死ぬまで)の3シーズンに分かれており、それぞれの頭に「苦闘」「過労消耗」「匍匐前進」という、これまた夢のない文字が付いています。

 

青年期はスペックの低さゆえに苦しむことが多いけれど、中年期はハイスペ美女でもつらい時期であるといい、年をとるほど失うものがない馬鹿ブス貧乏のほうが楽になるそうです。ほんとうに身も蓋もないですが希望はある。

 

とくに若さと美しさで評価されてきたことを自分の実力と勘違いしてきた女性にとって、更年期は辛いものになるようです(たとえばゆ◯りぬさんの更年期は壮絶なものになるのかもしれないのですね。しらんけど)。

 

だからといって馬鹿ブス貧乏は身の程をわきまえて大人しく暮らせ、という話にはならない。


人類の女性は生殖能力のあるうちは毎年子供を産んで家事と育児に明け暮れていました。現代人のようにぬるい生活をしているとエネルギーを持て余して無駄に長生きしてしまう。だから老年期に入る前に電池は使い切れ、出し惜しみするな、とすすめておられます。

 

あり余るエネルギーには性欲も含まれています。

 

淑女の皆様におかれましては無縁なことだと思われるかもしれませんが「真面目に生きてきた認知症の高齢女性がイケメン介護士を見て下半身を丸出しにする」という恐ろしいエピソードも出てくるので過信してはいけません。

 

下半身丸出しにしないまでもロマンス詐欺に合わないくらいには発散させておいたほうがいいでしょう。

 

実際の方法についてはぜひ本を読んで各自で考えていただきたいと思います。芸能人の不倫で大騒ぎしてる現状を見るかぎりなかなか受け入れられない提案かもしれないですが、ユニークな考え方です。

 

個人的にこの先、性愛も含めて人間同士の交流はどんどん仮想現実化していくのではないかと思ったりもします。ファンタスティック・プラネットの巨人みたいに乳首を出しながら瞑想に耽る新人類が生まれるかもしれません。

 

全体の感想としては「配られたカードが悪くても、できることはやって、悔いのないように生きよう」という話のように感じられました。それでも駄目だったら仕方がない。たとえ悪あがきでもあがき続けることが大事。

 

読書家の藤森さんおすすめのブックガイドでもあるので、迷うことがあったら読んでみるといいと思います。巻末の紹介文献リストがとても便利。

 

何かにつけて「馬鹿ブス貧乏」と言われるのが辛い場合は、まったく別の方向性の本を併読して中和するといいかもしれません。私はちょうどハイスペ女子の宇野千代の本を読んでいたので、美女も美女で面倒な事が多いと思える冷静さを持って読むことができました。

 

自分視点の話ばかりで申し訳ないですが、最後に面白かったところを引用しておきます。

 

まれに女性が、大抜擢され社長に選ばれたりする。それは、その企業が倒産しかけで、男にとって社長になっても旨味がないときだ。

 

→ドムドムバーガーの社長

 

大学でも、女性が学長に選ばれる場合というのは、女子短大や女子大以外では、その大学内部に大きな問題があり、男はそのような問題解決の責任を負いたくないときだ。状況が良くなれば、また男がしゃしゃり出てくる。

 

→林真理子理事長

 

ほんまや。勉強になりました。

 

かぎ針編みで漫画のパロディをやってみた【鬼滅】【血の轍】

 

まずは『鬼滅の刃』の序盤の見どころ、炭治郎が狭霧山の岩を斬るシーンを実弥ちゃんで再現してみようと思います。

 

 

おや、なんだか様子がおかしいですね。

 

 

岩に化けていたまんじゅろうさんでした~!!!

この状態で部屋に置いていたら家族もまんじゅろうさんだとは気づかず狭霧山の岩だと思っていたので、なかなか上手く化けられていたようです。

セリアで買った毛糸(なないろ彩色中細の36番)がものすごく岩っぽい色だったことから思いつきました。

しめ縄についている紙垂にはちゃんとした作り方があるようですがフェルトです。めんどくさいから。

 

次は毒親マンガ『血の轍』から、ママが息子の静ちゃんに毎朝「肉まんとあんまんどっちにする?」と朝ごはんを決めさせるシーンです。

 

不自然にデカい肉まん

選択の自由があるようで、肉まんとあんまんしか選べないという意味不明な制約がついている、ママの暴君ぶりがわかるエピソード。

肉まんを選ぶ確率が高いのは「毒親の自分を憎まないでほしい」→肉まん(憎まん)と言わせようとしているのかと思いましたが、たぶんそんなダジャレみたいな理由じゃないと思います。

 

 

どこかで見たような展開ですね。

 

肉まんに化けていたまんじゅろうさんでした~!!!!

肉まんはさすがにデカすぎて怪しさ満点でしたが、おまんじゅうのまんじゅろうさんににはハマり役で美味しそうです。

振り返ればまんじゅろうシリーズ、身近な人には好評だったので、またネタが思いついたらやるかもしれません。

 

『血の轍』がしんどい


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ここからちょっと元ネタの『血の轍』の話をします(閲覧注意)。

 

過保護な毒親の漫画だと聞いて読んでみたのですが、話の通じなさ具合からいってキ印や電波系に格上げしたほうが良さそうなママ。

身体的な虐待をしているわけではないので「ちょっと過保護だけどいいお母さん」に見えるのが厄介です。

無神経な親戚やステルス状態のパパも含め、ママの周りに味方がいないという事情を差し引いても息子への執着が気持ち悪すぎる。

ブロガーのちいめろさんが息子にホストのような格好をさせて「児童虐待」だと批判されたことがありましたが、あれが息子を恋人扱いする母親を皮肉ってるのだとしたら大した役者だと思うほど、愛情を隠れ蓑にして息子の彼女面する母親はおぞましい。

ママが美魔女に描かれてて母親っぽく見えないのが救いだと思ったら、これも息子フィルターがかかって美化されている状態らしく、現実のママがどんな姿なのか想像すると地獄です。

そんな状態で育てられた息子が『君に届け』の風早くんみたいな爽やかヒーローに育つはずもなく、当然のごとく陰キャなのですが、なぜか美少女に惚れられるという漫画的奇跡が起こります。天から蜘蛛の糸が降りてきたと思ったのに、それを無残に切るのもやっぱりママ。

静ちゃんの世界には神も仏もなく、ママという絶対的な支配者がいるだけ。

もうサブタイトルが『家畜人ヤプー』でも驚かない。

ヤプーの肉体改造にも等しい酷い仕打ちの数々(精神的な)を見て、ママが望んでいるのは息子じゃなくて従順な家畜なんじゃないのか、と疑いたくなりました。

私に息子はいないのでよくわからなかったのですが、母親が息子のトラウマになって女性嫌悪に陥ったり、男女間の溝ができるのだとしたら、なんて罪深いことだろうと思います。

健全に成長できなかった少年が、歳を重ねただけで魅力的な大人の男性になるわけがないのに、年頃の女の子達には相手にされなかったりで、そりゃ性癖も歪むでしょう。

女性向けの本に「男は女に娼婦と母親の両方を求めるから勝手だ」というようなことが書かれていて、そのときは納得したのですが、女性も男性にヤプーと王子様の両方を求めているなら勝手じゃないかと思います。

完全なフィクションならまだしも『血の轍』は作者の押見さんの自伝的漫画らしいです。この世の中にどれだけの静ちゃんがいるのだろうと思うと……しんどい。

回を追うごとに暗くなっていくばかりで、ママが元凶だと思っていたらそのママも毒親に苦しめられていたらしいことがわかったり、静ちゃんも狂ってるのかまともなのかわからないような状態になっていって、もうお腹いっぱいです。

私は静ちゃんを通じて母娘問題とは違う毒親の闇を見ましたが、息子を持つお母さんが読むとまた違った感想になるのかもしれません。

もし私に息子がいたら、優しくて母親想いのいい子じゃなくていい。

ジョージ・クルーニーみたいにモテまくって楽しい人生を送ってほしい(小並感)。

 

『クトゥルフの呼び声』を読んだら名状しがたい冒涜的な着ぐるみができた【SAN値直葬】

親方のクトゥルフよりデカいダゴン

恐ろしい夢を見た私は、編み物よって邪神クトゥルフとダゴンを召喚しました。

魚っぽいのはハンギョドンじゃないです。ダゴンです(言われる前に言っとこ)。

目玉の赤いビーズ以外は背景も含めて100均のものです。ついに深海の背景を使う時が来た。思った以上にルルイエみが出て満足です。

 

クトゥルフ様の正体は実弥ちゃんでした。

頭はフード状になっていて、脱がせると顔が見えます。この姿だとSAN値が回復しちゃうね。たしか『ハウルの動く城』にこんなのいた。

 

小さいけど羽根もあります。飛行能力なさそうですけど。

 

製作中はダルマみたいでした。これはこれで好き。

 

本家クトゥルフ様とのツーショット。

クトゥルフに見えるかどうか心配だったのですが、意外とちゃんとクトゥルフしてました。

『クトゥルフの呼び声』を読んでみた感想

クトゥルフ神話の概要は知っていても原作をまともに読んだことがなかったので、評判の良い田辺剛さんのコミカライズ版を読んでみました。

クトゥルフ神話において邪神の姿を見た者は発狂したり死んだりすることになっているため、見ることができないクトゥルフの全身像が描かれていることに感動しました。その時点でアイドルの写真集に等しいです。尊い。

(同じく最近のクトゥルフ神話もので評判の良い『The Shore』もクトゥルフやダゴンの姿がたっぷり見られるうえ、ダゴンのお尻も見られる素晴らしいゲームです)。

 


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時代に合わせてヴィジュアルは洗練されてきているのですが、原作のストーリーにはどうしても古さを感じてしまいます。

人類誕生以前の太古の昔、地球を支配していたのは宇宙から飛来した者達(クトゥルフ神話では旧支配者と呼ぶ)でした。ようするに宇宙人なわけですが、肉体があったりなかったりで人類が分類するところの生物の枠には収まらない存在です。

人類のなかに旧支配者を神として崇拝する集団がいて、彼らを復活させようと画策することにより巻き込まれた人が酷い目に遭って終わる、というのがおおまかなストーリーです。

日本人の私には怖さが伝わりにくいのですが、西洋人の価値観の中心にあるのはキリスト教ですから、神による天地創造を否定するような話は「冒涜的」であり、恐るべきものなのです。

聖書に神は「自分に似せて人間を作った」と書かれているのでクトゥルフたち邪神はタコだったり「名状しがたい」姿だったりします。

問題は、その旧支配者を崇拝しているのが白人以外の人種ばかりだといことです。白人以外は頭のおかしい野蛮人というストレートすぎる差別表現はさすがに古い。

もともとパルプ・マガジン(安い通俗雑誌)に掲載されていた作品であり、原作者のラブクラフトは生前、ほぼほぼ評価されていなかった作家なのでしょうがないといえばしょうがないんですが。

現代だと銃を乱射する代わりにクトゥルフを復活させようとするとか、階級の壁を壊すためにクトゥルフが担ぎ出されるとかのほうが説得力あるような気がします。

クトゥルフ神話自体、ラブクラフトの世界観をベースに複数の作家の創作によって全体像が作られていった作品なので、原作者に縛られることなく多種多様な展開を考えられるのが面白いところでもあります。

 

 

いままでの話に全く関係ないんですけど、ラブクラフトと運転免許返納で炎上中のYouTuber・スーツ君がなんとなく似てる。

アメリカ人にしたらこんな顔なのかもしれない。

 

ほんとは怖い?蛭子能収『地獄に堕ちた教師ども』【サイコパス】【クズ】

 

 

はてなダイアリーで「蛭子さんはなぜ漫画家になれたのか」という投稿を見つけました。


絵が下手なのになぜ漫画家になれたのか。蛭子が漫画家になれるなら誰でもなれるんじゃないか。わたしも子どもの頃、同じことを思っていました。


じつは下手な絵も含めて個性。

 

既存の漫画表現にはない前衛的な作風で漫画界の発展に貢献しました。

 

蛭子能収がいなければ後続の山田花子や山野一も存在しなかったかもしれないし、ねこぢるがちいかわになっていたかもしれない。一見素人の落書きのようだが映画界でいうところのゴダールみたいな存在です。

 

説明が難しい漫画なので蛭子がデビューしたガロという雑誌からお話しようと思います。

 

ガロは商業誌の枠に収まらない個性的な漫画家を多く輩出しました。

 

代表的な漫画家がつげ義春。

 

蛭子さんもつげ義春に影響を受けて漫画家を志します。

 

つげ義春について語っているインタビューをまとめると「こんな漫画があるのかと衝撃を受けた。ストーリーはよくわからないけど芸術作品だと思った」というようなことを言っています。

 

ガロの功績は普段漫画を読まない層を取り込んだことでした。

 

音楽、文学など他ジャンルのアーティストに影響を与え、新しい感性の漫画家を誕生させたのでした。商売っ気がないため常に廃刊の危機と隣合わせでしたが文化的価値が高い雑誌です。


漫画史において少年ジャンプ等をを筆頭とするメジャーな川の横に、細々ともう一つの川が流れているとでも思ってもらえばいいでしょうか。


「そういえば漫画家だった」と言われる蛭子能収

 

35年ぶりに復刊された『地獄に堕ちた教師ども』は漫画家・蛭子能収の初の単行本です。

 

表紙を見てすぐわかるのが横尾忠則と映画の影響です。構図と色使いは横尾忠則、タイトルはルキノ・ヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』のパロディであることは明白。


蛭子さんは映画好きで芸術映画もたくさん見ているそうですが、見た直後から内容は忘れてしまうらしく、漫画の内容も映画とはまったく関係ありません。


何の画材を使っているのかわからないが塗りムラがすごい。元祖ヘタウマ(ヘタが味になっている)と言われるだけあって、真似しようにも真似しきれていないような……。

そこからオリジナリティが生まれているのでもうオリジナルでいいんじゃないか。そう思いました。


以前、青木雄二の絵柄が蛭子能収に似ていると書きましたが蛭子さんのほうがややヘタな気が……。背景物と人物の大きさが合っていないし、背景も実景じゃなくてなんか意味不明にUFOが飛んでいたりします。

 

もともと漫画は好きだったそうですが、蛭子さんが最初に目指した職業は漫画家ではなくグラフィックデザイナーでした。

 

絵がヘタなことに注目しているとなかなか気が付かないのですが、コマをじっくり見るとデザイン性に優れていて、一枚の絵として完成されています。


ストーリーはオチがあったりなかったりでよくわからない。

 

つげ義春から叙情性を引っこ抜いてサイコパスを足したような殺伐とした展開で、とにかく登場人物が冷血かつ暴力的。


『地獄のサラリーマン』は、敷かれたレールに乗ってきたはずのサラリーマンが脱線に次ぐ脱線で最後には地獄に連れて行かれる、という現代社会への皮肉めいたものを感じましたが、蛭子さん的には通勤電車の過酷さを伝えたかったらしく、虫を細かく描くことを頑張ったそうです。

 

表題作『地獄に堕ちた教師ども』の背景に書かれている怪しげな標語も「当時流行ってた糸井重里を意識したかもしれない」とのことで、とくに意味はないらしいです。


なにかの思想がありそうに見えるので、蛭子さんのキャラが知られる前はどこぞのインテリが書いているんじゃないかと噂されたとかされないとか。

 

実際は「漫画やグラフィックアートが好き」「ギャンブルが好き」「日頃のストレスを漫画で発散」という3つがいい具合に掛け合わさったキメラ的作品のように思います。


蛭子漫画を象徴する大量の汗。尋常じゃない汗をかいているのは追い詰められた人、余裕のない人ばかり出てくるせいだと思っていたのですが、「説明が少ない蛭子漫画のセリフや状況を補足するもの」という意見を見て、汗も演出上重要な役割をしていることがわかりました。

 

計算ではないのかもしれませんが、絵がヘタなことにより残酷な場面もギャグに見える効果(これは『ナニワ金融道』にも感じた)と、本物っぽさが加わります。

 

本物っぽさとはあっち側の人なのかこっち側の人なのかということです。

 

分裂病的と言われる支離滅裂な展開はあっち側の人っぽい。しかし超ハイセンスな人がわざとこういう作風にしているのではないか、と思わせる余地もあります。どっちなのかわからない不安な気持ちで読みすすめるのがいいでしょう。


蛭子漫画は「不条理ギャグ」「シュール」とカテゴライズされていますが、アウトサイダーアートという人もいればダダイスムだという人も、パンクだという人もいます。


免疫のない人が蛭子さんの漫画を読むと衝撃を受けるようです。

 

蛭子能収デビュー以前の漫画界を知っていればどれだけ斬新だったかわかるのでしょうが、私は後続の丸尾末広からガロ系を知ったので、衝撃を受けるよりご先祖様に会ったような懐かしさを覚えました。


蛭子能収のパーソナリティ

 

蛭子さんを語る上でタレント・変人という部分についても触れておきたいと思います。

 

それぞれが重なり合って蛭子さんの魅力を構成しているため、別な角度から見ていくことも必要だと思っています。


漫画家としては特殊な立ち位置のため、タレントとして蛭子さんを知った人がほとんどでしょう。

 

かつては優しげな雰囲気から「理想の父親」に選ばれるほど好感度が高かったのですが、「人の葬式で笑ってしまう」「嫌いな相手を漫画で血祭りに上げる」などの暗黒面が知られるようになり、「サイコパス」「クズ」と評価が一変します。

 

変人であることは間違いないのですが、蛭子さん本人の思いとは違ったニュアンスに伝わっているようです。


もともと緊張を強いられる場面が苦手なうえに、たいして悲しくもないのに悲しんでいるフリしなければいけない状況がおかしくて笑ってしまうようです(ようするに茶番だと言いたい)。それでも最初の奥さんが亡くなった時はものすごく悲しくて泣いたそうですから、人の心はあるみたいです。


漫画でジェノサイドするのも、いじめられっ子だった蛭子さんが学校の不満を漫画にぶつけていたことから始まっています。嫌いな人の名前を書くデスノートみたいなもので「現実世界で人を傷つけたくない」という平和の精神がそこにあります。


蓋を開ければ誰の心にもある黒い部分だったりするのですが、問題は蛭子さんがそれを堂々と言ってしまうことにあります。


そう、蛭子さんはバカがつくほど正直なのです。


「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」でもギャンブルがしたいという理由で人里離れた旅館よりもビジネスホテルに泊まりたがる蛭子さん。

 

賭け麻雀で捕まった時の「二度としません。賭けてもいいです」は歴史に残したい名言です。


芸能界一忖度しないタレントであることは間違いないでしょう。


嘘まみれの芸能界でよくこんな人が生き残れたと思うほど。それも文化人としてチョロっとテレビに出てくる程度ではなく、芸人に混じって熱湯風呂に入ります。


漫画界でそれなりの地位を築いても、ギャラがよければパンツ一丁で熱湯に入る潔さ。他人の評価など気にしない徹底した合理主義。

 

間違いなく成功者ですが「成功する人の特徴◯選」とかに絶対当てはまらない唯一無二のキャラクターです。

 

有名になったプレッシャーで病んでしまったりすることもなく、基本的に来た仕事は断らない。「ぼっち」に属する内向的な性格なのにここまで図太い人もなかなかいません。

 

人々が蛭子さんに吸い寄せられるのもわかります。観察対象としてめっちゃ面白いもん。

 

いまでは「蛭子さんのようなマイペースな蛭子の生き方こそ人間のあるべき姿なのかもしれない」と言われることもあります。

 

全人類が蛭子能収になったらそれはそれで世界の終わりですが(本人もそう言ってる)、心のなかに小さい蛭子さんを住まわせたら生きやすくなりそうです。


いくら稼いでも蛭子さんにとってタレント活動はバイト。本業は漫画家だという思いがあります。


認知症になって大好きなギャンブルをやめても漫画は書き続けているそうです。


バス旅で蛭子さんをどやしていた太川陽介がいつか粛清されるんじゃないかと思っていましたが、「俺は太川さんに優しくなかった。それは間違ってたと思う」と言っていたのでその心配はなさそうです。嘘がつけない蛭子さんが言うとなんだか感動的。