はてなダイアリーで「蛭子さんはなぜ漫画家になれたのか」という投稿を見つけました。
絵が下手なのになぜ漫画家になれたのか。蛭子が漫画家になれるなら誰でもなれるんじゃないか。わたしも子どもの頃、同じことを思っていました。
じつは下手な絵も含めて個性。
既存の漫画表現にはない前衛的な作風で漫画界の発展に貢献しました。
蛭子能収がいなければ後続の山田花子や山野一も存在しなかったかもしれないし、ねこぢるがちいかわになっていたかもしれない。一見素人の落書きのようだが映画界でいうところのゴダールみたいな存在です。
説明が難しい漫画なので蛭子がデビューしたガロという雑誌からお話しようと思います。
ガロは商業誌の枠に収まらない個性的な漫画家を多く輩出しました。
代表的な漫画家がつげ義春。
蛭子さんもつげ義春に影響を受けて漫画家を志します。
つげ義春について語っているインタビューをまとめると「こんな漫画があるのかと衝撃を受けた。ストーリーはよくわからないけど芸術作品だと思った」というようなことを言っています。
ガロの功績は普段漫画を読まない層を取り込んだことでした。
音楽、文学など他ジャンルのアーティストに影響を与え、新しい感性の漫画家を誕生させたのでした。商売っ気がないため常に廃刊の危機と隣合わせでしたが文化的価値が高い雑誌です。
漫画史において少年ジャンプ等をを筆頭とするメジャーな川の横に、細々ともう一つの川が流れているとでも思ってもらえばいいでしょうか。
「そういえば漫画家だった」と言われる蛭子能収
35年ぶりに復刊された『地獄に堕ちた教師ども』は漫画家・蛭子能収の初の単行本です。
表紙を見てすぐわかるのが横尾忠則と映画の影響です。構図と色使いは横尾忠則、タイトルはルキノ・ヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』のパロディであることは明白。
蛭子さんは映画好きで芸術映画もたくさん見ているそうですが、見た直後から内容は忘れてしまうらしく、漫画の内容も映画とはまったく関係ありません。
何の画材を使っているのかわからないが塗りムラがすごい。元祖ヘタウマ(ヘタが味になっている)と言われるだけあって、真似しようにも真似しきれていないような……。
そこからオリジナリティが生まれているのでもうオリジナルでいいんじゃないか。そう思いました。
以前、青木雄二の絵柄が蛭子能収に似ていると書きましたが蛭子さんのほうがややヘタな気が……。背景物と人物の大きさが合っていないし、背景も実景じゃなくてなんか意味不明にUFOが飛んでいたりします。
もともと漫画は好きだったそうですが、蛭子さんが最初に目指した職業は漫画家ではなくグラフィックデザイナーでした。
絵がヘタなことに注目しているとなかなか気が付かないのですが、コマをじっくり見るとデザイン性に優れていて、一枚の絵として完成されています。
ストーリーはオチがあったりなかったりでよくわからない。
つげ義春から叙情性を引っこ抜いてサイコパスを足したような殺伐とした展開で、とにかく登場人物が冷血かつ暴力的。
『地獄のサラリーマン』は、敷かれたレールに乗ってきたはずのサラリーマンが脱線に次ぐ脱線で最後には地獄に連れて行かれる、という現代社会への皮肉めいたものを感じましたが、蛭子さん的には通勤電車の過酷さを伝えたかったらしく、虫を細かく描くことを頑張ったそうです。
表題作『地獄に堕ちた教師ども』の背景に書かれている怪しげな標語も「当時流行ってた糸井重里を意識したかもしれない」とのことで、とくに意味はないらしいです。
なにかの思想がありそうに見えるので、蛭子さんのキャラが知られる前はどこぞのインテリが書いているんじゃないかと噂されたとかされないとか。
実際は「漫画やグラフィックアートが好き」「ギャンブルが好き」「日頃のストレスを漫画で発散」という3つがいい具合に掛け合わさったキメラ的作品のように思います。
蛭子漫画を象徴する大量の汗。尋常じゃない汗をかいているのは追い詰められた人、余裕のない人ばかり出てくるせいだと思っていたのですが、「説明が少ない蛭子漫画のセリフや状況を補足するもの」という意見を見て、汗も演出上重要な役割をしていることがわかりました。
計算ではないのかもしれませんが、絵がヘタなことにより残酷な場面もギャグに見える効果(これは『ナニワ金融道』にも感じた)と、本物っぽさが加わります。
本物っぽさとはあっち側の人なのかこっち側の人なのかということです。
分裂病的と言われる支離滅裂な展開はあっち側の人っぽい。しかし超ハイセンスな人がわざとこういう作風にしているのではないか、と思わせる余地もあります。どっちなのかわからない不安な気持ちで読みすすめるのがいいでしょう。
蛭子漫画は「不条理ギャグ」「シュール」とカテゴライズされていますが、アウトサイダーアートという人もいればダダイスムだという人も、パンクだという人もいます。
免疫のない人が蛭子さんの漫画を読むと衝撃を受けるようです。
蛭子能収デビュー以前の漫画界を知っていればどれだけ斬新だったかわかるのでしょうが、私は後続の丸尾末広からガロ系を知ったので、衝撃を受けるよりご先祖様に会ったような懐かしさを覚えました。
蛭子能収のパーソナリティ
蛭子さんを語る上でタレント・変人という部分についても触れておきたいと思います。
それぞれが重なり合って蛭子さんの魅力を構成しているため、別な角度から見ていくことも必要だと思っています。
漫画家としては特殊な立ち位置のため、タレントとして蛭子さんを知った人がほとんどでしょう。
かつては優しげな雰囲気から「理想の父親」に選ばれるほど好感度が高かったのですが、「人の葬式で笑ってしまう」「嫌いな相手を漫画で血祭りに上げる」などの暗黒面が知られるようになり、「サイコパス」「クズ」と評価が一変します。
変人であることは間違いないのですが、蛭子さん本人の思いとは違ったニュアンスに伝わっているようです。
もともと緊張を強いられる場面が苦手なうえに、たいして悲しくもないのに悲しんでいるフリしなければいけない状況がおかしくて笑ってしまうようです(ようするに茶番だと言いたい)。それでも最初の奥さんが亡くなった時はものすごく悲しくて泣いたそうですから、人の心はあるみたいです。
漫画でジェノサイドするのも、いじめられっ子だった蛭子さんが学校の不満を漫画にぶつけていたことから始まっています。嫌いな人の名前を書くデスノートみたいなもので「現実世界で人を傷つけたくない」という平和の精神がそこにあります。
蓋を開ければ誰の心にもある黒い部分だったりするのですが、問題は蛭子さんがそれを堂々と言ってしまうことにあります。
そう、蛭子さんはバカがつくほど正直なのです。
「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」でもギャンブルがしたいという理由で人里離れた旅館よりもビジネスホテルに泊まりたがる蛭子さん。
賭け麻雀で捕まった時の「二度としません。賭けてもいいです」は歴史に残したい名言です。
芸能界一忖度しないタレントであることは間違いないでしょう。
嘘まみれの芸能界でよくこんな人が生き残れたと思うほど。それも文化人としてチョロっとテレビに出てくる程度ではなく、芸人に混じって熱湯風呂に入ります。
漫画界でそれなりの地位を築いても、ギャラがよければパンツ一丁で熱湯に入る潔さ。他人の評価など気にしない徹底した合理主義。
間違いなく成功者ですが「成功する人の特徴◯選」とかに絶対当てはまらない唯一無二のキャラクターです。
有名になったプレッシャーで病んでしまったりすることもなく、基本的に来た仕事は断らない。「ぼっち」に属する内向的な性格なのにここまで図太い人もなかなかいません。
人々が蛭子さんに吸い寄せられるのもわかります。観察対象としてめっちゃ面白いもん。
いまでは「蛭子さんのようなマイペースな蛭子の生き方こそ人間のあるべき姿なのかもしれない」と言われることもあります。
全人類が蛭子能収になったらそれはそれで世界の終わりですが(本人もそう言ってる)、心のなかに小さい蛭子さんを住まわせたら生きやすくなりそうです。
いくら稼いでも蛭子さんにとってタレント活動はバイト。本業は漫画家だという思いがあります。
認知症になって大好きなギャンブルをやめても漫画は書き続けているそうです。
バス旅で蛭子さんをどやしていた太川陽介がいつか粛清されるんじゃないかと思っていましたが、「俺は太川さんに優しくなかった。それは間違ってたと思う」と言っていたのでその心配はなさそうです。嘘がつけない蛭子さんが言うとなんだか感動的。