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心は燃やしても炎上はさせない! 宇多丸さんの「鬼滅の刃 無限列車」映画評

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HIPHOP界の大御所で映画評論家としても活動している宇多丸さんが無限列車の批評をされていたのでそのお話を。

(このブログ、定期的にスキンヘッドの人を話題にしているような気がするのですが、まあいいですそんなことは)。

 

久しぶりに宇多丸さんの映画評を聞いたのですが、私は宇多丸さんのお喋りに影響されている部分があることを強く感じました。

早口のYouTuberを見てもとくに早口でわかりにくいと思ったことはなく、毒舌が売りのYouTuberを見ても「ぬるい」と思ったのは宇多丸さんの映画評を聞いていたからでした。

やたら早口で文字数・情報量が多いのに滑舌が良いわけでもなく、恐れを知らず言いたいことを言い、噛む時は噛みまくり、聞き取りやすい声でもないという宇多丸クオリティーに慣れていたのです。

自分の管轄外の分野、たとえば森ガール(森にいそうな女の子、ファンタジーで少女趣味)にも「森舐めすぎ」と物言いをつけたりする「基本的にめんどくさいオタク」で、ここまでの説明では良いところがなさそうなんですが、そのめんどくささが映画レビューと相性が良く、宇多丸さんの映画評の魅力になっていると思います。

また、たいへん几帳面な方で、無限列車編の批評をするにあたり、まず予備知識無しで映画をご覧になった後、アニメ視聴→原作読破→映画二回目→原作を再読という念入りな下準備をされています。

この映画を鬼滅ファンとして見た場合、映画ファンとして見た場合、アニメファンとして見た場合などで感じ方が変わると思うのですが、「鬼滅の知識もある映画ファン」目線にしては頑張りすぎている感があり「ああこの人、やっぱりオタクだな」と温かい気持ちになりました。

以前のような凶暴性がなくなり、「丸くなった」「wikiみたい」と言われたりもしますけれど、そこら中に鬼滅ファンの地雷が埋まっている危険地帯を安全運転で切り抜けたという意味で責務は果たしたと思います。

「くどい」と言いたいんだろうな、と思うところでも「味が濃い目になっている」とまろやかな表現に変えていました。欠点を指摘する場合も根底に作品への理解があり、鬼殺隊のクレイジーな言動や漫画作品ゆえの説明台詞の多さなども考慮したうえでお話されていましたし、映画的に調整を加えたほうがいい部分に言及するだけに留める、という具合です。

無限列車の映画化に関しても「列車はそれだけで映画的になる装置(舞台)。一直線かつ一方的な時間・空間体験はまさに映画というメディアの構造そのもの」とたいへん勉強になることをおっしゃっていたのですが、映画の知識が乏しいため「シベリア超特急」しか思いつきませんでした。

そんな私でも「パンズ・ラビリンス」が引き合いに出されていた時は「魘夢もだけど矢琶羽なんか完全にペイルマンだったな」と思い出したり、別に映画マニアでもない私でもわかる範囲で楽しめました。サブカルチャー全般に詳しい宇多丸さんが様々な方向に話を展開していくのが面白かったです。

「鬼滅はスポ根」という解説も非常に納得のいくもので、鬼滅を知らない方にもわかりやすい説明だと思います。熱心なファンだとキャラクターやエピソードに感情を乗せてしまうので逆に伝わりにくかったりするのですが、宇多丸さんは構造を抜き出して説明してくれるので余計なものが混じらず、一見さんにも抵抗なく聞いてもらえそうです。

「無限列車編」はTVアニメからの続き、単行本の7巻~8巻までのエピソードなので単体の映画として評価するのは難しい作品です。ufotableはファン目線をよく心得ていて、有名人をゲスト声優に呼んだりもせず、あくまでも原作に忠実に、より迫力のある映像に仕上げていると私は感じました。

いくら表現が巧みであっても、ツボを間違えた芸能人のコスプレのようになってしまうといただけません。芸能人のコスプレは見栄えこそいいですが、自己主張が強すぎて原作の世界観を逸脱しがちです。無惨の姿で「炎」を歌うのは違和感しかありませんでした。

いっそ何もしないほうがマシという場合もあるので、余計なことをしなかったという点でufotableを評価します。ベストではなくても。

あらゆる方面から再三指摘されているように説明台詞の多さは私も気になるところなのですが、鬼滅に限り、あれはあれで良いのではないかと思っています。

個人的に、猗窩座「鬼にならないか」→煉獄さん「断る」の繰り返しは好きなので削られてなくて良かったです。

猗窩座はずっと「杏寿郎」と呼びかけているのに煉獄さんは一貫して「君」と呼ぶ。

きっと煉獄さんは「猗窩座」という名前を覚えてないんだろうな、「君」と呼んでうやむやにしてるんだろうな、ということが伝わってきて感慨深いです。