ひきこもりクエスト

ひきこもりが何と戦ってるかって?自分の中にいる怪物だよ

無能は無能であって怠慢ではありません

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職場の問題児だった仕事をしない従業員が辞めて新人が入ってきました。今度こそまともな人が来てくれることを期待していたのですが、バイト仲間曰く、私たちの予想をはるかに超える「強烈」なご婦人でした(女性の印象で“強烈“という言葉はなかなか出てこないので概ね察しがつくと思います)。

 『千と千尋の神隠し』に出てくる「おしら様」をご存知でしょうか。新人さんは制服のボタンが弾け飛ぶほどの豊満ボデーの持ち主で、ちょうどおしら様みたいな体形です。

髪型はふくよかな方には厳しいセンターパートのウエーブヘア。おしゃれのつもりなのでしょう、私にはワカメを頭に乗せているようにしか見えませんが……。

ご本人の性格も見た目の強烈さを裏切らない強烈なキャラクターで、少しは裏切ってほしいと思ったものでした。

  • 物覚えが悪すぎ。
  • やることなすこと雑。雑なのに遅い。
  • 忘れ物・失せ物が多い。
  • 挨拶やお礼ができない。
  • 妙になれなれしい(謎の上から目線)。

世の中のほとんどの方が不快感を抱く要素しかありません。

新人指導をしている社員の方も言葉足らずで決して説明上手ではありませんが、この新人の物覚えの悪さは想像を絶するレベルでした。

私も一緒に作業をしたことがあるので身に染みてわかります。

仕事に入る直前に確認作業をしたにもかかわらず、現場に着いたらすべて忘れていました。結局最初から説明する羽目になり、余計な手間が増えただけ……。彼女に任せた仕事はたった一つだったのに、それすら覚えられないのです。

ほかにも私の仕事道具を自分のものと勘違いして持って行ってしまったり、私がやるはずだった仕事を勝手にやっていたこともありました。

そのうえ毎日のように物を失くします。失くして、探してを繰り返しているので無駄に時間を消費するばかり。その日やるべき仕事をこなせないのが当たり前になっていました。

誰かが手伝わなければ終わらないので、私も見かねて手を貸してしまいそうになるのですが、「できるだけ本人にやらせてください」と社員の方に止められているので歯がゆく感じます。

これが自分の子どもなら本人ができるようになるまで手は貸しません。でも仕事は制限時間内に終わらせなければいけないので悠長に構えてはいられなくて……。

でもよくよく考えたら私と彼女は同じ時給です。彼女のぶんまで働いたら損をするのは私でした。「助けてもらえると思ったらいつも頼ってくるようになる」という社員さんの言葉も尤もだと思いました。

こちらが気を利かせて手取り足取り教えてあげようとすると「それくらいわかります」とそっけない返事。余計なお世話と言わんばかりです。

こういう協調性のない方と仲良くやっていくのは難しいものがあります。

まるで未開人のよう

社会性とかコミュ力以前に、意思の疎通が難しいと感じました。よくこんな人が今まで生き延びられたものです。

ジャングルの奥地で獣に育てられて最近日本語を覚えたばかりとか、座敷牢に幽閉されていたとかいう過去でもあれば納得もできるのですが。

最初こそみんな腹を立てていたものの、次第にこれは何かの病気なのかもしれないと思うようになりました。

彼女は話を聞いていないのではなくて、理解する能力がないのではないかと。

注意されると毎回ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしているので、自分が何をしたのかわかっていないようなのです。それが精いっぱい頑張っている状態なのだとしたら、私たちにはどうすることもできません。

誰でもできる仕事→簡単な仕事じゃない

よく「誰にでもできる仕事」と言いますが、実際に誰にでもできる仕事なんてないと思います。特別な資格や才能がいらないから採用されやすいだけであって、ほかの職種同様、適性を問われます。

この職場もガサツな人や物をよく失くす人には向いていません。

社会は無能が怠慢ではないことを理解すべき

彼女を労働者として見れば無能以外の何者でもありません。お刺身にタンポポをのせる仕事でも見つからない限り、生活保護を受給して家にもらったほうが社会のためです(利益になるどころか損失を出すので)。

「私たちの税金が使われるのは納得いかない」とお怒りになる方もいるでしょうが、「選ばなければ仕事はいくらでもある」という言葉のほうが無責任だと思います。

人が仕事を選ばなくても仕事のほうが人を選びます。

普通の労働者でさえ辟易するような空気の読み合い・過剰サービスが当たり前の社会で無能な人が活躍できる場所があるとは思えません。

私の労働観はひきこもっていた頃も働いている今も変わりません。

むしろ労働不適合のニートやひきこもりは雇われて働く以外の道を探したほうがいい、という思いが強くなりました。